「目の前の光景を、現実を、忠実に写し取り記憶に留める。それが写真の持つ力」。客観性よりも自分自身のまなざしで対象と向き合い、写真を通して移りゆく時代と社会を表現してきた。長年こだわってきたテーマである「戦争」に通ずるものがある、と、東日本大震災の被災地で撮影を始めたのは2011年4月のことだ。「時代を見つめ、次の時代を考えるよすがになる。誰かがやらなければ」。そんな信念のもと、昨年9月まで7年半に渡り毎年現地での撮影を継続。岩手、宮城、福島の3県を訪れ、被災直後だけでなくその後の変化を追い続けた。11日、150点の作品を収めた写真集『After the TSUNAMI 東日本大震災』(冬青社)を刊行。「歴史を踏まえ、未来に向けた礎になれば」と願いを込める。
初めて現地を訪れたのは東北新幹線復旧後の4月30日。災害救助活動にあたる知人を頼って仙台市に入り、被災状況を目の当たりにした。今も鮮明に記憶するのは、名取市閖上地区一帯を見渡せる、小高い日和山に登ったときの光景。見渡す限りがれきや家屋の残骸が広がり「まるで廃墟」。まちが根こそぎ流され、船が内陸まで達するなど津波の爪痕が生々しく残っていた。「神も仏もない。見たこともない災害現場だった」。写真家として残しておかなければ、という使命感を持つ一方、カメラを持つときには、亡くなった人たちへの鎮魂の思いが湧いた。「取材するということは人の世界に分け入り、プライバシーに踏み込むということ。そういう気持ちを忘れてはいけない」
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散乱していたがれきは一つひとつ取り除かれ、1カ所に集められて山ができ、のちに片付けられて何もない平原になる。人のいない廃屋が残るなか、一方ではかさ上げ工事が始まり、防潮堤ができ、かつてとは違う風景に変わる。7年半、自身の足で歩き、こうした変化をカメラに収めてきた。
今思うのは、岩手・宮城と福島との復興の差だ。原発事故の影響で、福島県内ではまだ放射線量が高い地域があり、立ち入りの制限が続く。「(原発至近の)双葉、浪江、大熊町は特に、年々差が開いている」。いつ帰れるともわからない不自由を強いられる人が、元の生活に戻れる日は来るのか。一方、かさ上げが進んだところで、将来どれだけ役に立つのか。シャッターを切りながら湧いてくる疑問を、メッセージとして写真に込める。「復興工事が、被災した人の救済につながることを願っている。元気なうちは見つめ続けたい」
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