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戦後75年 麻溝台に残る「満州の悲劇」 加藤長治さんの残した歌碑

社会

公開:2020年8月13日

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顕正寺に建てられている歌碑
顕正寺に建てられている歌碑

 南区麻溝台にある源悟山顕正寺。その墓地の一角に一つの歌碑が建っている。「阿夫利峯に 照る夕つ陽や 赤あかと 燃やしつづけし 夢よ一代」。詠み人は2004年に89歳で生涯を閉じた加藤長治さん。町議会、市議会議員を40年務めるなど、幅広い分野で活躍した地元の名士だが、その成功の裏には、多大な苦労と悲しみがあったという。

 加藤さんは津久井郡青根村出身で「満州開拓移民」として、家族と満州へ渡った。戦況が悪化すると、青壮年の男性が軍に根こそぎ召集され、加藤さんも関東軍兵として南方に派遣。終戦は済州島で迎えた。

 その後は運良く、出征先からいち早く帰国。11月に郷里を訪ねると、移民団員は誰も戻ってはいなかった。「引き揚げてくる家族や仲間のため、生活基盤を作っておこう」、そう考えた加藤さんは開拓団送り出しの責任者である県に働き掛け、入植地探しに奔走。紹介されたのが旧陸軍の練兵場地跡の開墾、現在の麻溝台周辺だった。

 満州から帰国する人のため、労働争議などの困難も乗り越え、麻溝台を一大開拓地とし、当時は画期的だった「麻溝台開拓農業協同組合」の設立にも尽力した。しかし、多くの移民団が帰国したものの、自身の家族は一人も帰って来ない。やがて家族が全員死亡したとの報が届いた。

 先述の歌碑の隣には加藤家の墓碑がある。そこには加藤さんの妻や2人の息子、11人におよぶ兄家族の名が刻まれている。そこには日にちも戒名も記されていない。

 加藤さんと親交があった郷土史家の山田真也さんは「帰国移民団の長として、また議員としても活躍した加藤さんだが、当時の心情を察すると言葉にならない。歌碑と墓碑から読み解ける、満州の悲劇を私たちも忘れてはいけない」と話した。
 

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