きょう10月1日は、全日本コーヒー協会によって定められた、「コーヒーの日」。中央区に溶け込んでいる珈琲店を訪れた――。
横山台にひっそりと佇む昔ながらの喫茶店。1日に何度か、焙煎されるコーヒー豆の香りが漂う「様子」は横山台の風景の1つに。「店を開いた1970年代には他の喫茶店が20店舗以上あったんだけどね。90年代に入る頃に起こったバブル崩壊でほとんど無くなってしまったよ」
そう語るのがこの店、横山台珈琲館の店主である鈴木義和さん(69)。昨年、オープン40周年を迎えた珈琲館は喫茶店として地域住民らの憩いの場となってきたほか、鈴木さんが焙煎するコーヒー豆のファンが集まる場所ともなっている。
「気の休まる1杯をね、提供したいと思ってこれまでやってきた。何かトラブルや失敗があっても、うちのコーヒーを飲めばイライラが静まりますよ」。鈴木さんは看板商品をそう語る。
幾度の困難
幾度の困難を乗り越えてきた。都心のホテルを退職後、開いた珈琲館の最初の経営危機がバブル崩壊。「一夜のうち」に日本全国が冷え込み、中小企業の倒産が相次いだ時代。周辺の喫茶店も店を畳んでいく中、珈琲館が生き残ったのは、「バブル前からコーヒー豆を販売するようになり、そこからも売上がたっていたおかげ。店に来る営業マンのお客さんの様子から、景気が悪くなるような気がして準備したんだよ」と鈴木さんは振り返る。
加えて、アメリカから不景気の波が押し寄せた2008年の「リーマンショック」前には、珈琲館で地域住民向けの英会話教室を開き、「新たな顧客」を獲得することで大打撃を受けずに済んだ。その際は知人のつてを使い、外国人講師を採用。本格的なレッスンを実施し人気を集めた。
鈴木さんは「この時もお客さんとの話の中から危険を感じた。銀行員のお客さんも少なくないから。喫茶店はマーケティングの場として理想的なのかもね」と笑う。
観察力生きる
一方で本業の方も、鈴木さんの観察力が生きている。来店するお客さん一人ひとりの顔を忘れないため、その都度、どんな人だったのかを似顔絵にするようにしているのだという。
そして、似顔絵の下には、お客さんの豆の好みから人柄、家族構成などをメモし、次回来店時に生かせるようにしている。「似顔絵は延べ5万人近くあるかな。定休日には似顔絵を描いたノートを見返すようにしているんです」。それが店のリピーターが多い理由となっている。
あと少しの辛抱
そんな珈琲館の新たな困難が新型コロナの感染拡大。店内の換気を徹底するなど対策を講じるも喫茶店利用者は減っているという。ただ、豆の販売先を地元地域だけでなく、日本全国へと広げていたこともあり、「徐々に回復している」と鈴木さん。
そしてコロナ禍の中、残念と話すのが茨城県に住む5歳になる孫に会えないことと苦笑い。「スマホなどで顔が見られるから安心だけどね。あとちょっとの辛抱ですかね」
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