無限の可能性感じた「パラ」
五輪終盤の8月10日、JOC(五輪組織委員会)からパラリンピック(以下パラ)での言語対応のボランティア(同ボラ)で打診があり引き受けると、五輪のレスリング会場と同じ幕張メッセでの役割が回ってきた。シフトも決まり、前半は車いすフェンシング、後半はパラテコンドーを担当することになった。
陽気な「べべさん」に驚き
27日から活動をスタートすると、すぐに出番が。車いすフェンシング女子フルーレ団体で銀メダルを獲得したイタリアチームの選手へのインタビューに立ち会う。注目はベアトリーチェマリア・ビオ選手。「べべ」の愛称で親しまれているスター選手で、試合後、大勢の報道陣から質問攻めにあう中、順番が回って来たのは午前2時前。「メダルの気持ちは?」の1問だけだったが、「本当にうれしかった」とコメントをもらえた。ビオ選手は疲れ知らずで、大きな声でチーム仲間と歌を歌って大騒ぎ。しかも前日には個人戦に出場。その体力には驚かされた。
後半のパラテコンドーは残念な結果に。期待をかけていた、世界ランキング1位のモンゴルの男女選手が相次いで敗退。その中で、女子49キロ級準々決勝で敗れたエンフトゥヤ・フレルバータル選手にインタビューする機会に恵まれたのは不幸中の幸いだった。
他にも表彰台(ポディウム)の設置の手伝いや、「パラ」のアンドリュー・パーソンズ会長が来場する際の座席への案内係などをこなした。ボラ仲間も増え、同じく五輪から活動を続けるウクライナ人、イラン人、フランス人たちとは昼食を共にするなど「チーム」として交流を持つことができた。
「パラ」での活動を通じて感銘を受けたのは、大会が掲げる価値の一つとされる「困難があっても、諦めず限界を突破しようとする力」をパラアスリートたちが身を持って示してくれたことだ。例えば表彰式。今大会はコロナの影響で、メダルを獲得した選手の首にかけることができない。選手たちには自力でかけることが求められる。記念撮影では腕のない選手たちが義手で器用に外す。その動きは自然に見えた。そして極めつきは試合でのパフォーマンス。肢体不自由の選手たちが流れを引き寄せるプレーや長時間の試合でも切らさない集中力、タフさなど健常者もまねできないような芸当をあっさりやってのけるなど不自由を感じさせない果敢な姿は驚きと感動を与えた。
誤解を恐れずに言えば、たとえ自らの足を不慮の事故で失ったとしても、ネガティブにならず、できることを積み重ねていけばいいと思わせてくれた。「パラ」へのイメージを大きく変えてくれた大会だった。
異例開催も価値見出す
コロナで無観客となり、賛否ある中での異例の開催。ボラとして五輪、「パラ」の両大会を支えた者として感じたのは「人間の可能性はまだまだ無限」だということ。若者たちに国を背負い込むような悲壮感は全くなく、伸び伸びとプレーし金メダルラッシュへとつながったのが象徴的だった。夢を持って選手を追いかける子どもたちのことを考えれば、まだまだ開催する価値があると思えた。機会があれば、またボラとして陰で支え、見守るつもりだ。
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