「おばあさん、ほら来たよ〜。あら、寝ちゃったかな」。区内で精米店を営む河本修二さん(73)の母・イセ子さんは現在区内の高齢者施設で暮らす。共有スペースで休む母を見つけた河本さんは、大きな声で呼びかけた。ウトウトしていながらも声を聞き分けたイセ子さんは少し頬を緩ませ、我が子に目線を送る。そんな母の様子を見た修二さんは「商売をやっていたから人見知りしないし、ここ(施設)ではリラックスして過ごしているよ」と笑顔を見せる。
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イセ子さんが生まれたのは第一次世界大戦後期の1917年。昨年、101歳を迎えた。戦病死で早くに夫を亡くしてから、厳しい時代の中、女手一つで修二さんら3人の子どもを育て上げた。修二さんに代替わりするまで家業の精米店を切り盛りし、店を手伝うため90歳を過ぎても店頭に立ち続けていた。
しかし、7年ほど前から元々痛めていた足の状態が悪化。歩行困難となり入院生活を強いられた。修二さんは、退院後も住み慣れた環境で過ごして欲しいと、自宅での介護を考え介護ベッドなど設備を整えたが、大きな不安もあった。「私も高齢だし、妻と二人だけで介護できるのか。体力的にはかなり厳しいと思っていた」。漠然とした不安を払拭するためケアマネージャーに相談すると、要介護認定を受け施設での暮らしを提案された。イセ子さんも施設へ否定的ではなかったため、グループホームでの生活を経て、4年前から高齢者施設での暮らしを始めた。
家族同士のつながりも
修二さんはイセ子さんの入所当初を振り返り「最初は環境が変わったことでご飯が食べられず本人も大変だったと思います。でも、スタッフの方々が本当に親切にしてくれるので、今は落ち着いていますね」と話す。現在、修二さんは週に1・2回ほど夫人と施設を訪れ、イセ子さんと面会している。イセ子さんの健康状態や施設での過ごし方は常駐する看護師と定期的に確認しており「プロがいるので頼れるところは任せています」と施設への信頼を口にする。
施設内では夏祭りや花見などの行事が開催され、イセ子さんを含め家族で参加することも。「自宅介護だったら、地域で行事があっても連れ出すのは難しかったと思う」。行事を通じて入居者の家族同士がつながる機会にもなっており、同じ立場だからこそ分かり合えることも多いという。
日本には親を施設に預けることに否定的な人も少なくない。河本さんはそうした現状について「世間体を気にする人も多いですね。ただ、大事なのは本人の意思と家族の状態。世間の目ではなく、家族でどうすべきか良く話し合うのが大切ではないでしょうか」と話した。
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