美術批評・女子美術大学教授杉田敦 語りあう街へ
震災によって、街自体が消滅してしまうというような事態を経験している現在、都市計画や地域活性化という言葉を軽々しく用いることはどうにも気がひける。また、行政の区割りや交通網などを軽々と飛び越えて広がる放射性物質による汚染は、建設的な姿勢そのものを萎えさせてしまう。けれども一方では、雑然としてはいたものの、だからこその気のおけない快適さをたたえていた大野銀座を一掃した都市計画は着々と進行している。困難な状況でも、いや困難な状況だからこそと言うべきだろうか、震災に固有の問題と同じように、ともすると遠ざけがちな問題を見つめなくてはならない。
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徳島県の神山という町でKAIRというアート・プロジェクトが開かれている。もう10年にもなるが、アートの分野では成功事例のひとつとして広く知られている。その神山に、一昨年トークショーで招かれた。プロジェクトの責任者は、神山も他の地方都市同様、過疎化が進んでいると説明してくれた。アートによる地域活性化だろうと短絡しかけたが、そうではなかった。過疎化は止めることはできない。でも、どうせ過疎化していくのであれば、楽しく過疎化することはできないか。またそうすることで、結果として、過疎化のスピードを緩めることもできるかもしれない……。卓見に驚かされた。町は等身大の目標に向かって、アーティストを招き入れ、彼らとのコミュニケーションを楽しみながら、予想を上回る成果を挙げつつある。
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神山の姿勢は示唆に富んでいる。何よりも重要なことは、町が過疎化という事態そのものを正面から見つめ、分析し、避けられないという事実とも正面から向き合っていることだ。相模大野の場合はどうだろうか。相模大野は渋谷ではないし、新宿でもないし、町田でもない。それらの街と比較すれば小規模な郊外のベッドタウンに過ぎない。そのことを認識していれば、都市部でともすると安易に進められてきた駅前開発に手を出すことはなかったのかもしれない。神山が過疎化というネガティブな事態を見つめたように、相模大野も、まず街自体のスケールや立地をしっかりと見つめる必要がある。さらに言えば、町田駅西側にかつて広がっていた赤線地帯についても、単にそれを一掃し、なかったことにしてしまうのではなく、かつてその地で生きていた人々のことを忘れるべきではない。制度や組織は憎むべきものであったとしても、意に反してその環境を生きた人々を完全に消去してしまうような姿勢は、街の狭隘を示すことにしかならない。
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ネガティブな要素を見つめ、決してそれを表面的に取り繕おうとしていない姿勢こそが、人々の心を動かすことができる。このことは、不実な人物が入れ替わり登場する原発関連の事態の推移を見守っていればよくわかるはずだ。アートでも、表現したものが人の心をうつようになるのは、大家を羨望して表面的にそれを模倣するようなことによってではない。自身を見つめ、ときにマイナスな要素とも正面から向き合ったとき、はじめて表現したものが人々に語りかけ始める。そんなアートの世界では、最近、話しあうことそのものや、人々が出あうことのできる場自体を、ひとつの表現として捉えようとしている。駅前の建造物は日に日にその姿を膨張させつつあるが、再開発地区のフリンジには、小規模なコミュニティのような場所が残っている。ジョカトーレ(=写真)、よっち、アンジー、魚定、かめや、ほがらか、……。そうした場所は、ある意味でひとつの表現なのかもしれない。そこであれば、トップダウンな施設を欲望してしまったこと自体を、ネガティブな要素のひとつとして受けとめ、語りあうこともできそうだ。街は、そうしたコミュニティを育てるように、ちょっとした支援をするだけでいい。語りあう街。街が抱えるネガティブな要素は、そのときそこでは、人々をつなぎとめる重要な役割を果たすことになるだろう。