神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS

「30年前」大野に熱い男達がいた タウンレポート “街の盛り上げ役”青大商(あおだいしょう)物語

公開:2012年1月26日

  • LINE
  • hatena
街をにぎわせていた青大商会員たち。メンバーが発行に携わっていた地域情報誌『ロビー2号』(平成元年)より
街をにぎわせていた青大商会員たち。メンバーが発行に携わっていた地域情報誌『ロビー2号』(平成元年)より

 30年後の相模大野を考える特集企画にあわせて、本紙では30年前の街の姿を探ってみた。この枠内では大野の中心で活躍をしていた若者グループの足跡を紹介する。

 現在、伊勢丹相模原店(南区相模大野)が構える場所にあった米軍病院。その敷地返還に伴い、平成2年に同店が誕生、駅北口から延びるメインストリート「コリドー通り」が整備された。中高層のテナントビルやマンションが窮屈そうに隣り合い、大型の資本注入を受けたサービス業・飲食業が軒を連ねる。私たちが目にする”お馴染みの相模大野”は、バブル末期の約20年前の区画整理の際に出来上がったものだ。

 駅北口から、相模女子大学(文京)へ向かう途中、「ロビーシティ前」という交差点の近くに一軒の青果店『若茂商店』(=右上写真)がある。ちょうど背の高いビルの谷間、貸しビルが乱立する街並みとは一線を画している。平屋の店舗とその商店主の住居が立ち並び、街を形作っていた、30年以上前のあの頃の面影を残す、今となっては数少ない場所――。「商店の2代目が集まって、家族ぐるみの付き合いをしてさ」。店主・若月一茂さん(65)は、目を細める。そんないつかの相模大野を日々闊歩し、忙しく奔走した若者グループ、それが青大商(あおだいしょう)だ。

20名の若人

 グループの正式な団体名称は『相模原商(・)工会議所青(・)年部相模大(・)野支部会』。「商店の跡継ぎの集まりだったから、商売繁盛のシンボル・蛇にあやかったニックネームをつけました」。結成当初のメンバーのひとりで、名付け親となった、南区御園在住の山田真也さんはそう振り返る。発足当時の会員名簿を見ると、そこに名を連ねるのは八百屋、酒屋、魚屋などの物販店や、喫茶店、飲食店…。商工会議所の青年部本部が音頭を取る形で、昭和50年7月7日、20代・30代の20数名の若人(わこうど)の集まりは産声をあげた。「大型店に負けるな」「ストップ・ザ・町田」を強く意識しながら。

 メンバーが書き綴った「青大商の沿革」という当時の資料には、「(相模大野地区は)顧客の多数が隣接地区へ流出していると同時に大規模資本の地元への進出、駅周辺の区画整理事業の実施、北口都市開発等多くの問題をかかえています」とある。まるで、今の相模大野からも聞こえてきそうな台詞(せりふ)だ。

 「イベントに出かけていくのが、青大商のメーンの仕事だった。街の”盛り上げ役”のようなものだね」。現在も当時の場所で、雑貨店『MyリビングF&F』を営む深澤正次さん(64)にとっても、青大商時代は思い出深い日々だ。

祭りで活躍

 相模女子大学小学部の納涼祭や報徳二宮神社の例大祭には、よく出店をした。来場者にやきそば、綿あめなどを振る舞い、威勢のいい青大商メンバーらは、子どもたちと輪投げやヨーヨー釣りを楽しんだ。また、有識者を招いての講演会・勉強会の開催や、関西地区の商業先進地への視察旅行を行い、「消費者と商人の共存共栄を考えながら”商業地区相模大野”としての繁栄を重点に広域社会の立場より研究」していたと、前出の資料には記されている。

「町田に負けるな!」血気盛んに奔走

 さらに活動の晩年にあたる昭和63年には、タウン誌「Lobby(ロビー)」を創刊。相模大野エリアを中心とした、飲食店ガイド、コンサート情報など掲載し、地域活性化の一翼を担った。「みんな血気盛んだったから、よく喧嘩もしていたよ」(山田さん)。この街の未来の話しを肴にしながら、夜がふけるまで酒を酌み交わした。そして仕事前には早朝野球に集まり、お互いの家族や友人を誘ってバーベキューを行い、親交を深め合っていった。

 こうして大野の将来を担うべく青大商メンバーとその周囲の人々は、各商店街の垣根を、それぞれの業種を越えて、絆を強めていった。そこには決して希薄とは言えない、人と人との繋がりがあり、街を隆盛させていこうという機運が、確かにあった。しかし、ある日、青大商のみならず、大野の商店街にとって、忘れられない大事件が起こる。

リーダーが蒸発

 ある会員の記憶によれば1993年の出来事だった。青大商初代会長であり、大野銀座商店街の当時の理事長を務めていた、絶対的な求心力を持つリーダーが、突如蒸発してしまったのだ。家族や友人、そして青大商の仲間にも何も知らされないまま突然の失踪。「兄貴分的な存在だったから、ショックだったね」と、あるメンバーが振り返るように、中心人物を青大商は失い、それが大きな転機となったのだ。「多い時は40人ぐらいの大所帯で行動していたね」(若月さん)。その後、この街おこし団体の会員は、徐々に減少していくこととなる。

4分の3が閉店

 設立当初の名簿を見ると、現在は4分の3以上の店舗が店を閉めてしまった。彼らが集い、語り明かした酒場も喫茶店も、この街の雑踏の中には、もはや見当たらない。

 現在、相模大野には4つの商店会が存在し、それらは同時に相模大野駅周辺商店会連合会(澁谷直樹会長)としての枠組みでも、連携して活動を行っている。「大野の商店街同士の交流は、そもそもほとんどなかった。青大商が出来て、はじめて少しづつ親交が生まれていった」と深澤さん。連合会創設への”橋渡し”となったと自負する。昭和61年、現在の商店会連合会が発足。その後、この新団体と入れ替わるように、青大商はほどなく消滅を迎える。

 とはいえ、現在青大商の足跡を形あるものとして、見ることはほとんどできない。「町田や大型店に負けず、相模大野を盛り上げていこう」―。この街を歩き、そんな言葉を聞く度、ふとあの頃に思いをはせるのみだ。
 

さがみはら南区版のトップニュース最新6

4日、5日に大凧まつり

4日、5日に大凧まつり

本番向け、準備着々

4月25日

20%還元 6月3日開始

相模原市

20%還元 6月3日開始

スマホ苦手派に説明会も

4月25日

市内全区で上昇率拡大

地価公示

市内全区で上昇率拡大

リニアと駅近で住宅需要増

4月18日

介護者居場所に自宅開放

相模台モンステラ

介護者居場所に自宅開放

県から表彰

4月18日

「ある」県内5自治体

災害時トイレ「独自指針」

「ある」県内5自治体

本紙が33市町村に調査相模原市は国基準で備蓄

4月11日

命名権の制限数を廃止

相模原市

命名権の制限数を廃止

財源確保へ1社多数も

4月11日

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 4月6日0:00更新

  • 1月19日0:00更新

  • 12月1日0:00更新

さがみはら南区版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月25日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook