東日本大震災から2年が経とうとしている現在もなお、被災の影響により、少なくとも403人が相模原市内で生活していることがわかった(3/1時点、市調べ)。市内での避難者窓口となっている市地域福祉課によると、その中でも福島県からの移住者が特に多いという。昨年の同時期に調査した際の人数は約360人だった(昨年2/27、市調べ)。
数値は、総務省が統括する「全国避難者情報システム」へ、情報提供があった人数を集計したもの。これは、被災者自身が避難先の自治体に申し出て、生活に必要な情報提供などを受ける仕組みだ。
「あれから2年」
「『帰れない』と思っている人も増えている実感があります。原発から離れている、郡山市などの中通りも実際は線量が”意外と高い”状態が続いてい て。自主避難している人もそれなりにいると聞きます」。福島県南相馬市から相模原へ避難している、羽下(はが)昌方(あきのり)さん(65)は周囲の状況 をそのように話す。現在、南区新磯野のグリーンパークに、妻・昭子さん(68)、次男・朋太(ともたか)さん(=右写真中央、25)とともに生活してい る。故郷には帰らないと決断した被災者の一人だ。
羽下さん一家が暮らしていた場所は、福島第一原発から20Km圏内。震災後すぐ立ち入 り禁止の警戒区域に指定された。「事故が起こっても、てっきり次の日には自宅に帰れるものだと思っていた」と、昌方さん。実際、立ち入りが許されることは なく、昭子さんの実家があった相模原を避難先に選んだ。とある男性が無償で住居を提供してくれている。
一時帰宅を許されたのは、震災から4カ月経った、一昨年の7月。当時、着の身着のままの避難だったため、キッチンの食材は朽ち果て、無数の虫がたかっていた。”ここはもう戻れる場所じゃないんだ”。理屈ではなしに、そのことを悟った。
道は自分で
しかし、この2年間、故郷へ帰りたいという気持ちが消えるわけではなかった。一向に進まない除染作業。原発の問題も終息の兆(きざ)しが見えない。報道を見る度に、ヤキモキすることも多かった。家にこもりがちになり、手持ち無沙汰な生活が続いた。
そんな時、作家である昌方さんにとっては絵画などの創作活動が、昭子さんにとっては趣味の織物が心を慰めてくれた。昌方さんは、海外を中心に活躍している陶芸家。昨年夏には中央区矢部の妙現寺で、陶芸教室を開いた。約30人が参加し、境内は盛況だったという。
現在、一家は関東圏内で新しい住居を探している。「いつまでもここでお世話になる訳にはいかない。今年中には決めたい」と、羽下さん夫婦。少しづつ時間は 動き出している。「もうこれ以上、まわりに左右されたくない。自分の道は自分で行かなくちゃ」。くったくのない笑顔で、力強い言葉を昌方さんは口にしてい た。
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