さがみはら南区版 掲載号:2014年6月26日号 エリアトップへ

南区在住増元さん 南中生へ戦争語る 広島修学旅行の事前学習で

教育

掲載号:2014年6月26日号

  • LINE
  • hatena
生徒は増元さんの話を静かに聴き入った=11日、大野南中学校
生徒は増元さんの話を静かに聴き入った=11日、大野南中学校

 市立大野南中学校(南区文京/矢澤真司校長)で6月11日、戦争体験者が戦時中の生活について生徒に語る会が開かれた。同校の2年生約250人が体育館に集まり、「語り部」の講話に耳を傾けた。体育館内には相模原市戦没者遺族会の協力により、太平洋戦争に関する資料も展示された。

 同校では今年度まで京都・奈良を修学旅行先としていた。現2年生が旅行する来年度は広島を訪れる。今回、「平和学習」に取り組んでいる同校が、戦争の話を聴くことで生徒に平和を願う気持ちを育ててもらいたいと、事前学習の一環として初めて実施した。体育館には同遺族会の協力で太平洋戦争の戦没者数や未帰還遺骨の概数などが記された資料約40点も展示された。

 この日、講話を行ったのは、南区在住の増元(ますもと)章子(あやこ)さん(78)。増元さんは戦争体験者として、2009年から各地の小中学校などで戦時中の様子などを語っている。同遺族会の理事も務めている。1936年、愛媛県南宇和郡で生まれ、5歳の時に太平洋戦争が始まった。終戦を迎えたのは小学校4年の時だった。

 冒頭、増元さんはアジアのきらびやかな民族衣装「サリー」をまとって登場した。「戦争中は色や装いを選ぶことができなかった。今は選ぶ自由がある」と生徒に説明。その後、戦時中に祖母が着用していたという「もんぺ姿」になった。

 家を手伝うために毎日水の入った天秤(てんびん)を担いだこと、日々芋を食べて過ごしたことなど、当時の生活の様子を語った。

 そして戦争が終わり、増元さんは父の帰還を待ち望んだ。しかし48年、父がパプアニューギニアで戦死したとの報せを受けた。増元さんが12歳の時だった。母親とは幼少に生き別れていた。「死のうかと思ったこともあった」と増元さん。しかし、「父の分まで、生きなくちゃ」と、思いとどまったという。

 増元さんは、「命は宝。どんなところにも悲しいことや苦しいことはある。でも、生きている喜びは必ずある。受け止めて自分を磨いて。自分の命を宝物にしてください」と話した。

 生徒を代表して、校外学習実行委員長の佐藤裕一郎さん(13)が、「戦時中は自由が無かったということを深く考えました。戦争でつらい思いをする人がいない、平和な世の中を保つために私たちにできることは、戦争を知り、そこから考えること、身近な人と人とのつながりを大切にすることだと思います」と述べた。

 この1週間後の18日、生徒らは校外学習で東京都新宿区にある「平和祈念展示資料館」を訪れた。

住まいの大相談会

5/18・19 相模大野ステーションスクエア3Fアトリウム広場

https://www.odakyu-chukai.com/branch/sagamiono/

<PR>

さがみはら南区版のトップニュース最新6

新磯小 130周年祝い桜

新磯小 130周年祝い桜 教育

校庭に植樹

5月26日号

沖縄への思いそれぞれ

沖縄への思いそれぞれ 社会

返還50年、出身者に聞く

5月19日号

3年ぶりに有観客レース

ツアーオブジャパン

3年ぶりに有観客レース スポーツ

5月21日 市内を滑走

5月19日号

ステラ10周年切手を制作

日本郵便南関東支社

ステラ10周年切手を制作 スポーツ

NFPで贈呈式

5月12日号

南区から1人・1団体

春の褒章

南区から1人・1団体 社会

市内では2者のみ

5月12日号

12年で約2600人減

南区子どもの人口

12年で約2600人減 社会

3区の中では減少幅最小

5月5日号

あっとほーむデスク

  • 4月7日0:00更新

  • 3月31日0:00更新

  • 3月24日0:00更新

さがみはら南区版のあっとほーむデスク一覧へ

最近よく読まれている記事

コラム一覧へ

さがみはら南区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2022年5月26日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook