「緑区の橋本に住んでいた頃、通っていた幼児館が自然教室を行っていて。そこで初めてカヌーに乗ったんです」
昨年10月に東京・葛西で行われたNHK杯国際カヌースラローム競技大会。男子カヤックシングルで4位に入り、東京五輪代表を決めた足立和也さん(29)は競技との出会いを振り返る。
当初は遊びの延長で、小学校に通いながら園児と一緒にカヌーを楽しんだ。高学年からは全国少年少女カヌー大会に出場するようになり、6年生の時にスラローム部門で優勝する。その勢いで、初心者から日本代表クラスまで参加する「ジャパンカップ」に出場。結果は最下位だったが、さらに競技にのめり込んだ。
車が好きだった父親の夢はF1レーサー。「夢を託したかったと思うのですが、なぜか私は水の上に進んでしまいました」と苦笑する。それでも父は中学校1年の時に中古のボートを購入。日本各地の大会への送迎をはじめ、家族揃って全面的に応援してくれた。
カヌー競技は意外とお金がかかるスポーツだ。ボートは新品で約40万円、パドルやウェアも消耗品。足立さんも高校に進むと練習の傍ら、「少しでも道具代の足しに」と、地元の古淵でアルバイトを始めたという。
カヌーで生きていく
年代別の日本代表に選出されるなど順調に成績を残し、カヌーの名門・駿河台大学に進学。3年の時、初めてワールドカップに出場するも世界の壁を痛感した。折しも競技を続けるか就職するかで悩んでいた時期。「このままでは終われない」、悔しさからカヌーへの情熱が再燃した。
「大学は卒業してほしい」と願う両親を、「本気でやる、これで生きていく。自分で責任を取る」と説得。大学を中退し、山口県に住む日本代表時代の恩師・市場大樹コーチを頼った。
山口県では市場コーチの家に居候し、アルバイトもしながら練習に明け暮れた。環境も変え、全てを投げ打って目指したのは2016年のリオ五輪。あと少しで届く、その実感もあった。しかし、代表選考を兼ねた15年のロンドン世界選手権。「普段とは全然違うプレッシャーにつぶされ、勝ちたいあまりバランスが崩れてしまった」
結果を残せず大会後は頭が真っ白に。どうやって帰国したかも分らなかった。この先、どうしようか―、考えようと思っても頭が拒否した。
「でも、気づいたらカヌーに乗っているんです。どうやって向かったかも覚えていないのに」
時間をかけて自分の心と向き合った結果、「世界で一番になりたい」思いは不変だった。「4年間は長いけど短い」、再びスイッチが入った。
つらい時期を支えてくれた奥様と2016年に結婚。2年前には娘さんも生まれた。NHK杯には山口県から2人が観戦に訪れた。その最愛の家族の前で決めた五輪代表。奥さんは泣いたが自身に涙はなかったという。「確かに嬉しかったけど、泣くのはここじゃない。まだスタートラインに立っただけだから」
開拓者として
日本人の競技第一人者として、世界各地を単身で転戦してきた。遠征のノウハウなど何も分からない時代を切り拓いてきた自負がある。海外では自分の運転で移動、わずか2ユーロのホットドッグを買うのも躊躇するほど貧乏な生活も送った。それでも16年のワールドカップスロベニア大会で日本人初の表彰台となる3位、翌年のドイツ大会も3位に入った。若い選手たちに「日本人でも世界トップを目指せる」ことを実践して見せた。
カヌーは状況判断の早さなど経験が占める割合が大きい。年齢を重ね、さらなる高みを目指せると信じている。これまでの経験全てが支え。「4年前の自分より、今の自分の方が絶対に強い」。力強く言い切る。
今夏の東京五輪。「カヌーはルールも簡単で、観ていて楽しい競技。ぜひ市民の皆さんも注目してほしい」と語る。さらに「その中から一人でもカヌーを始める人が出てくれたら何よりも嬉しい」と笑顔を見せた。
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