イスラエルの占領下にあり、長年、度重なる戦火に見舞われているパレスチナ自治区・ガザ。5月にも約11日間にわたりイスラエルからの空爆を受け、200人以上の人が犠牲になった。高い壁に囲まれ「屋根のない刑務所」とも称される遠いその地に、思いを寄せる画家がいる。新人洋画家の登竜門とされ、美術界の芥川賞とも呼ばれた安井賞を女性で初めて受賞した上條陽子さん(84・南台在住)だ。取材時はまだ停戦前、空爆のニュースを見聞きする度、「子どもたちは無事だろうか」と胸がざわつく。現地の人の無事と戦いの収束を願い、自らの馳せる思いを落ち着かせるかのように千人針をつくり続けていた。「早く子どもたちに会いたい」
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上條さんは1937年横浜生まれ。17歳の時、地元の高校を「絵描きになりたい」と中退し、独学で絵の勉強に励んだ。バイトをしながら絵を描き、公募展などで入賞はするものの、30代半ばで「私は何を描けばいいのか、何故絵を描くのか」。大きな壁にぶち当たった。「このままではだめになる」、その思いから画家の夫と2人でヨーロッパの旅を決行。現地で安い車を購入、テント生活をしながら約6カ月間、スケッチや美術館巡りで精気を養った。
帰国後「玄黄」をテーマに作品を発表、41歳で女性初の安井賞に輝いた。順風満帆に進むと思われた画家人生に、最大の転機が訪れたのは50歳の時。大病を患い、2度の開頭手術。生死をさまよい、右耳は聞こえず、顔の右側に麻痺は残ったが、視力と握力は奪われなかった。「描けることがうれしくて。私にとって描くことは生きることなの」と手を動かし喜びを表現する。それまで「頭で考えていた」作品づくりは、生きる喜びや命への思いを感じたまま描くようになり、同時に「ペーパーワーク」も始めた。
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パレスチナを訪れたのは1999年。知人に誘われ、現地でグループ展を開いたのがきっかけだった。高い壁に囲まれた地で多くの人が過酷な生活を強いられている姿に衝撃を受けた。道路を1つ隔てた向こう側には美術館も立派な彫刻もある。あまりの格差に「屋根のない監獄と感じた」。難民キャンプで絵画教室を開くと、子どもたちはとても楽しそうに絵を描いた。「何かしなくては」。帰国後、寄付で集まった画材を持参し、現地の子どもたちに絵や造形作品の指導をする「パレスチナのハート アートプロジェクト」を開始。難民キャンプを訪れての絵画指導や日本での作品展などを続けている。本来なら今年もガザへ行く予定だったがコロナで延期に。「収束したらガザに行く。子どもたちとも約束しているから。出入国審査には時間がかかるかもしれないけれど、絶対に行く」と意志は固い。
市民ギャラリーで作品展
アトリエでは裸足に布ぞうり。年齢を感じさせないフットワークの軽さに健康の秘訣を聞くと「大病して死の淵から蘇ってからは元気なの!」と茶目っ気たっぷりに笑う。唯一の健康法は「週1回の画廊巡り」。ほぼ毎週、銀座の画廊をハシゴし、時間があれば美術館へも足を延ばす。「絵を見て歩く、それが一番の健康法。いい絵を見ると元気とヒントがもらえるの」。
現在は、北海道深川市でのアート展のほか、相模原市民ギャラリー((問)【電話】042・776・1262)で、6月15日(火)まで「上條陽子展」を開催中だ。また6日にはNHKのEテレ「日曜美術館」で、「壁を越える〜パレスチナ・ガザの画家と上條陽子の挑戦〜」が放映された(13日(日)に再放送の予定あり)。
「少しでも日本の人にガザのことを知ってもらえれば」。遠く離れた地を思い、今日も作品をつくり続ける。