アテネオリンピック銀メダリスト 泉浩さん 南区相模大野在住 29歳
”リオ”も視野「まだまだ強くなれる」
○…今でも心残りという。2004年、初めての五輪、柔道男子90kg級の決勝戦。試合前、相手の様々な攻撃パターンを頭に入れておいたが「真逆のことが起きた」。未練の銀メダルは故郷の道場に掲げられている。「メダリストと言われますが、結果よりその過程の大切さを伝えていきたいんです」。現在はNPO法人の副理事として、市内で柔道の普及に務める。この春からは市内全中学校に指導に赴くプランを検討中だ。
○…マグロで有名な大間町(青森県)の出身。9人兄弟の8番目。兄の影響で、8歳のとき柔道をはじめた。「どこまで強くなれるか」。中学生にして単身上京、名門道場の門を叩いた。世田谷学園高校を経て明治大学へ。「独特の雰囲気。メディアが盛り上げてくれる」というオリンピックには、アテネ、北京と2大会連続で出場。「どうやったら投げられるか?敵にあわせて変えていく。その奥深さが柔道の面白さ」。大きな体から、歯切れよい言葉が次々と出てくる。「頭がいい。何より”がんばり屋さん”だね」とは、勤務する法人内での評判だ。
○…この28年の間に、柔道で114名もの中高生が死亡しているという。「指導者不足が一番の原因ではないかと。自分は教える先生たちに、色々なアイデアを伝えたい」。総合格闘技、レスリングにも挑戦した。そのチャレンジ精神は次世代を担う子どもたちのハートへ届くはず。
○…感謝の気持ち、諦めない強さ、仲間との絆―。指導にあたりこの3つを何より大切にする。「友達と仲間は違いますよ。仲間ってのは友達以上、恋人未満ですかね」。中学生の時は、朝から「どんぶりご飯5杯」。173cm100kgの大きな体は、「(漁師の父親のおかげで)たくさんマグロを食べさせてもらいましたから」。仕事の合間を縫ってトレーニングを続ける。4年後のリオ五輪出場をめざすため。「やれる所までやりたい。どこまで強くなれるか」。
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