これまで大船渡市には短期、長期を含めて3回派遣された。最初は震災から3週間後の混沌とした中での派遣。現地は道の両脇に瓦礫が積まれ、荒れ果てた光景を目にして言葉を失ったのを覚えている。
最初の業務は物資の仕分け。小学校の体育館に全国から送られてくる靴や洋服を分類、在庫を管理し避難所に配送する作業で、1週間続けた。現地職員からは一様に疲労の色が見えながらも、気を張っている様子がうかがえた。
その半年後の11月には2回目の派遣。そこでは住宅課で仮設住宅の入居手続きの手伝いを行った。仮設への入居が進む中、復興に向けて一つ段階が上がったと実感したが、住民などの心のケアが必要だと感じた。被災者でもある職員たちが、市民のために身を粉にして働く姿を見て、「職員の人たちをサポートしたい」と固く誓った。
迎えた3回目の派遣は長期の1年間だった。税務課の手伝いとして還付や収納、滞納の整理業務に努めた。その頃から地域住民との交流が進む。同市・盛町(さかりちょう)の吉野町公民館が位置する区域の地域住民から呼ばれて七夕祭りに参加。山車にも乗せてもらうなど温かく受け入れられた。派遣期間が終わっても「もう一年残りたい」と思うほど地域住民への感謝の気持ちが募り、今でも当時の恩返しとして七夕祭りの時期には観光がてら現地に赴き、住民や市職員と時間を共にする。
3回の派遣経験について、市内の小学校で講演を行うこともある。そこで話すのは「郷土愛の大切さ」だ。1回目の派遣の際、震災による休校を理由に現地の高校生が「何か手伝いたい」とボランティアを申し出ることがあった。自宅が損壊して復旧のめどが立っていない生徒もいる中、「まちのために」というひたむきな姿勢を目の当たりにした。「郷土愛があったからこそ、あの大変な避難所生活を乗り越えられたと思う」と当時を回想する。現地の高校生の姿に感銘を受け、郷土愛を育むことの大切さを思い知らされる経験だった。
派遣から学んだことを伝える一方、自身は一昨年、大船渡で「さんま焼き師」の第1回試験に合格し、認定を受けた。その後津久井のイベントで市の職員ボランティアと共に大船渡直送のサンマ500匹を焼いた。昨年は大船渡市職員を招いて楽しんだ。様々な人脈を生かして相模原から支援できることを模索している。
大船渡の復興支援に向けては「食べること、(現地を)知ること、そして忘れないことが大事」と強調。現地へ観光などで出向くのも支援の一つだが、日頃から家族で災害時の連絡手段を決めておくなどの備えを実践する必要性にも言及。「それは大船渡の人々の願い」だとし、「今からでもスタートできること」と訴える。
「お世話になった」、その恩返しの思いがすべての原動力とするデラワリさん。震災の経験を伝え続けるためにも、「呼ばれたらどこででも話します。さんまも焼きます」。活動の先には常に、大船渡の人々がいる。