福島原発で放水活動をしたハイパーレスキュー隊統括隊長で現町田消防署警防課長の高山幸夫氏(=今週の人物風土記掲載)が本紙単独インタビューに応じた。
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当時を振り返って-
これまでの経験や勘は全く通用しない。放射能の知識はもちろんなく、現場は灰色の煙と異様な雰囲気で恐怖を駆り立てた。そして辺り一面水素爆発したタンクの瓦礫などが飛び散っている中、どれくらいの規模でいつ爆発するか分からない発電所の側で放水をする恐怖。これは足がすくむような恐ろしさ。2つの恐怖は今でも鮮明に覚えている。
どう対処しましたか-
放射線量については専門部隊(化学機動中隊)が側にいて「数十メートル前は危険です」や「あと○分でタイムリミットです」という言葉を絶えずくれた。爆発への不安は「どうにかなる」と思うしかなかった。
最後に-
丸2日以上、眠気や食欲は全くといっていいほどおきず、極限の生死の緊張感だった。全員が生きて戻ることができほっとしている。
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