被爆者が講演 原爆被害に想う8月6日 顔に残った戦争の爪痕
広島に原子力爆弾が投下された日である8月6日、町田市生涯学習センターで町田市内の原爆被害者団体「町田市町友会」の深堀寛治会長が自身の長崎での被爆体験を語った。この講演は戦争の悲惨さ、平和の尊さを考えるために開催された町田市平和祈念展の企画の一つ。講演後には参加者全員が平和への思いを込めた絵葉書を制作した。
「生かされた」
深堀さんは1933年生まれの80歳。定年まで会社を勤め上げ、町田市へ移住した。被爆や2004年に発覚した大腸がんの克服を経て「生かされた」という思いから、口を閉ざしがちだった原爆体験を語るようになった。今では市内223人を会員に持つ「町友会」の会長を務め、たびたび講演を行っている。
被爆による精神的負担
原爆が投下された当時、疎開先である祖父の家で祖父が藁草履を作る様子を眺めていた瞬間、大きなムチでたたかれたような衝撃が襲った。高台にあったという家からは一面の死体と巻き上がった砂塵で薄暗い中に燃える火が見え「地獄だと思った」。
原爆による熱線で深堀さんの顔中の皮膚はただれ、大きなケロイドとして傷を残した。あるとき、スナップ写真を見て自分自身のケロイドのひどさに驚き、自身が被爆者だと誰も知らない土地へ行こうと決意し、22歳で単身上京。結婚を控える妹たちに対して「この顔では迷惑をかけるのではないか」と考え、結婚式には出席できなかった。
講演が終わると、会場では質問時間が設けられ「被爆当時の治療方法」「戦争相手のアメリカや戦争をどう思うか」といった質問があがった。深堀さんは「病院もなかったので治療は何もできなかった。アメリカを恨んではいない」と答えた。
参加者の84歳の女性は「素晴らしい講演。自分も戦中は学徒として辛い思いをした。身につまされる」と感想を話していた。
絵葉書の制作では子どもから高齢者まで、参加者が思い思いの平和への言葉と、花や折鶴などの絵を描きつづった。深堀さんは一輪の花の絵にひとこと「平和を願う」と記した。
|
|
|
|
|
|