今年2月に開幕するソチ五輪。アイスホッケー女子日本代表に法政大学多摩キャンパスに通う鈴木世奈選手(スポーツ健康学部4年)と床亜矢可選手(同1年)が選ばれた。
五輪まであと1カ月。今の心境と、”アイスホッケー”を生活の、そして人生の中心に構える2人に、今の自分であるために決断した「選択」を聞いた。
岐路に立たされた時、人は何を捨て、何を得るか。未来のことは誰にもわからない。正しい選択をしたかも、誰もわからない。ただ、本人が納得するまで考え、実行に移したことだけは今の表情に溢れている。
22歳と19歳の「選択」で、何を得たのだろうか。
鈴木選手は北海道苫小牧市出身。
選択を迫られたのは『大学進学時』。北海道はアイスホッケーをする環境が整っている絶好の場所だ。リンクもあり、しかも小さいころから一緒にプレーした仲間もライバルも身近にいる。
「地元に残るか、それとも東京の大学に行くか…」。
親元に居られること、アイスホッケーには最高の環境があること、今まで築き上げてきた安定した場所である北海道やチームの仲間を捨てられるか。自分だけ取り残されないか―
”選択”したのは「東京の大学への進学」だった。
「大学に行こうと決めていた。だけど調べれば調べるほど不安になり、本当に行っていいのだろうか。これでいいのか」と考え抜いた。「色々な人に会いたい。アイスホッケーだけの生活ではない場所に行きたい」。環境を変えてでも、自分の最初の気持ちを信じた。
選択して4年。「法政大学に来てよかった。4年間で色々な人に会えた。友だちに会えて本当に良かった。ほかの人たちと違って、飲みに行ったり遊びに行くことはできないけど、東京の大学に来て良かった。田舎の学校ですけどね(笑)」。そして新しいチーム「SEIBUプリンセスラビッツ」との出会いにも感謝している。「五輪を目指せる環境にも感謝しているし、いいチームに入ることができた」。卒業後の就職もSEIBUプリンセスラビッツに入社できることが決まった。
「今までは”選択”が良かったと言えるけど、勝負はこれから。五輪次第で決まるのかな」
床選手は高校3年の時に家族、医師らみんなの反対を押し切って”選択”した。
高校1年生のころから、体がだるくなり、毎日のように鼻血を出した。自分本来のプレーができなくなった。バセドウ病だった。
投薬治療を続けていたが、完治するまで3年かかると言われた。「それではソチ五輪に間に合わない」。五輪に出場するためには『手術』しかなかった。それが床選手の”選択”。
最初はただの不調、スランプくらいの感覚だったが、アイスホッケーを続けていたことで病気の発覚が遅れ、気が付いた時には通常の30倍の数値を越えていた。
病気のことはほとんどの人が知らなかった。「病気を隠すというより、皆に気を使わせるのが嫌だった」
お父さんもお母さんも手術には反対だった。「薬を飲めば治るのだから。あえて危険を冒すことはない。そしてキズが残る」。当然の反対理由だったが、「時間がなかった」。2013年になればすぐに五輪出場を賭けた大会がある。そのメンバーに選ばれるためには、2012年の春には手術を受けなければなれない。5月の連休中に勝手に手術日を決め、両親を説き伏せた。前日には手術によるリスクを承認する書類の束にサインし続け、震えた。
4日で退院し、7月の代表合宿に間に合わせた。「10%くらいからのリハビリだった。プロテイン2倍飲んで『追いつかなければマズイ』って頑張った」という。
「手術して良かった。キズは残ったけどまったく悔いはない。五輪で活躍するしかない」
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