超高齢社会を迎え、現在では患っている人が500万人を超えるとされる認知症。地域の医療機関による「早期発見・早期治療」の啓蒙が功を奏し、『軽度』での診断も増えている。タウンニュース町田編集室ではこのほど、軽度認知症を患う人の「生の声」を聞くことができた。
「僕は認知症」南大谷在住 鈴木克彦さん(82)
鈴木克彦さんが「認知症」と診断されたのは3年ほど前のこと。「その日」は突然やってきた。玉川学園前駅付近の放置自転車の監視役の仕事をしていた時に身体のだるさを感じた。仲間に「ちょっと休んでくるわ」と伝え、文化センター脇から階段を昇り休憩場所に向かった。上がりきりホッと一息ついた瞬間、「頭の中がぼわーっとした」という。「おかしいな、”俺”がいないぞ。どこいった」―。これが当初の気持ちだという。「変な話でしょ」と振り返る。「とにかく戻らなくちゃ」とあちこちに動き回り、ふと下に、見たことのある大きい道路を見つけ、下って行った。「あの建物はどこかで見たような…そうだ、(スーパー)三和だ」。記憶が甦り、自宅まで自力で帰ることができた。そして「自分で市民病院に電話したんです」。
脳に手のひら大の影
3日後、CTで頭の中を見ると、脳の一部が真っ黒になっていた。「これは只事ではない」と思ったものの不思議と怖さはなかった。「だって元々『おかしいな』という気持ちだったから。覚悟ができていたというか」。あっけらかんと話すので、家族も「へえ〜」という感じだったそう。
昔から野球やソフトボールをやっていた鈴木さんは足腰が丈夫で、「健康だった時と何も変わらないよ」と話す。ただ体調などにより、現在地が分からなくなることがある。
あるイベントに参加した帰り、自宅に近い玉川学園前から歩きに歩いて、鶴川駅に出てしまった。「線路沿いに歩けば自宅にたどり着く」と考え、また歩いた。すると到着したのは町田駅。ややパニックになるも、ふとポケットの財布を確認してタクシーに乗った。家に着くと、「まちの保健室(認知症カフェ)」の松本さん、お巡りさん、家族が勢ぞろい。「こっちから『何があったの?』って聞いちゃった。タクシーに乗って、自宅まで帰れたことは褒められた」と笑う。不安もあり、氏名や連絡先、認知症である事などを書いた『ヘルプカード』は持っていたいという。「自分は大丈夫だと思っているけど、やっぱり周りの人に迷惑かけたくないからね」
鈴木さんは現在、認知症カフェの仲間と共に、施設や高校などで講演を行っている。「『認知症ってこういうものだ』と知ってもらうには、僕らが話すのが一番かなと思って。地域の人たちに支えてもらう身。言葉がちゃんと話せるうちは、伝えていきたい」
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