町田版 掲載号:2019年12月12日号 エリアトップへ

町田天満宮 宮司 池田泉 宮司の徒然 其の51

掲載号:2019年12月12日号

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水と人

 神社の神職(神官)が神様に申し上げる文を祝詞(のりと)というが、もともとは宣詞(のりと)であった。祭礼などで神様を祝う詞(ことば)だから祝詞となったのだろうが、病気の平癒祈願や厄年の祓いなどでは「祝」の文字はそぐわない。宣詞の内容には地域差もある。特に地鎮祭などでは、その土地の場所の表現として「西に丹沢の峰々を見遥らかし、東に多摩の短山(ひきやま)を敷き・・・」というように、町田ならではの文言を加えたりする。短山(ひきやま)とは高山に対比して低山のことを示し、「多摩の短山を敷く」とは多摩丘陵地帯を表している。この多摩丘陵は多摩川にかけての起伏の多い地形のことだから、つまり多くの溝があるということ。これがいわゆる谷戸と呼ばれる場所で、山と山に挟まれて扇状に広がり平地につながる。谷戸の突き当たりは細くなり保水した山からの湧水が染み出し、稲作に適した水田となる。

 さて、熊野神社は和歌山県熊野三山 (熊野那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社)を本宮として、全国に広まった。主に全てを産み出す神としてイザナギ・イザナミを祀り、那智の滝を背にする那智大社に倣って滝や湧水を背にして祀られる場合が多い。滝や湧水は生物の命を保つ水をもたらし、含まれるミネラルは植物や海洋生物の栄養にもなる。万物生成の神様がそのような場所に祀られることはごく自然なこと。そもそも我々の体は60%〜70%が水分である。高ヶ坂の熊野神社は今でこそ開発されて分かりづらくなっているが、かつては芹ケ谷公園の小田急線下から熊野神社の裏まで広大な湿地帯で、昭和48年ごろまでは水田だったからタニシも獲れた。こひつじ幼稚園の辺りはガマの穂と葦の湿地帯でいたるところに湧水があり、私も小学生の頃には、熊野神社の裏までサワガニを獲りに出かけた(もちろん食用として)。平地で熊野神社を祀ろうとしてもなかなか滝はないが、おおむね全国の熊野神社は湿地帯や湧水を背にして建てられている。高ヶ坂村の村人は、単に和歌山の熊野神社のまねではなく、水への感謝と畏怖を前提として命の水が湧きだす所に祀るという原則を守っていたということだ。台風と低気圧による記録的な豪雨で川が氾濫し、多くの家屋や田畑に浸水。地すべりによって大規模な断水が起こり、100人近い命が奪われた。箱根では温泉の配管が切断され、ようやく開通した三陸鉄道はあちこちで線路が落ちた。あらためて水の脅威を思い知らされ、水道に頼りきっていた人間の弱さが暴露された。人と水との付き合いは太古から続いてきて、水によって生き、水によって破壊もされてきた。熊野神社はそんな水の恩恵に感謝しながら、水の恐ろしさ鎮めるために祀られている。神社や寺院の存在は単に信仰というだけではなく、生活への戒めを考え直させてくれる場所だともいえる。

 サワガニを獲ったりセリを摘んだり、当たり前のようにできたあの頃が懐かしい。それもまたわずかながら湧き出す水の恩恵だったことを子どもの私は気づくはずもなかった。地震は阪神淡路、新潟中越、東日本、熊本、北海道。豪雨は広島、岡山、奄美、九州、そして今回の19号と、昭和、平成、令和と大きな自然災害が頻繁過ぎて、復興も支援も全く追いつかない日本。地球規模の気候変動、温暖化。神様にはとにかくお鎮まりいただいておいて、行き過ぎた便利に依存していることを自覚して出来ることから取り組もう。
 

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