生涯学習センターの夏の平和イベントで原爆被爆体験を語る 竹中 清史さん 金井在住 83歳
歴史の証人として伝え残す
○…戦後77年の今年、8月に市内で行われる平和イベントに出演し、広島での原爆被爆体験を語る。当時は6歳。爆心地から約3キロの自宅で「ピカドン」のキノコ雲を見上げたのを覚えている。「母さーん、おひさんが落ちたよー」と驚くと、すぐに防空壕に家族で逃げ込んだ。暗闇で食べたじゃがいもがおいしかった記憶が鮮明だ。「地獄のような街を歩いて、もっとつらい思いをした人がたくさんいる。自分は被爆者らしからぬ被爆者なんです」
○…山口県出身。父の仕事の都合で広島で暮らし、戦後の混乱期は両親の出身地である大阪へ。上京したのは仕事の都合で35歳の頃。化学製品の営業として65歳まで勤め上げた。定年後は国の助成を利用して介護士の資格を取得。老人ホームで働いた。「まだ体力もあったし、男だから力仕事も任されてね。頼られると応えちゃうんだよ」と照れ笑い。
○…原爆手帳を申請したのは67歳の時。母が亡くなったのを機に兄弟で話し合い「歴史の証人として被爆者になろう」と決めた。申請が遅かったのは母の意向だ。長年その意図がわからなかったが、遺品から出てきた手記に心の内を見つけた。「母は『原爆は大変だったが家族全員無事に助かっただけでも感謝し、それ以上を望むのは亡くなった多くの人に申し訳ない』という気持ちが強かった」と振り返る。
○…町田市原爆被害者の会に入ったのは5年前。健康のために続けていた介護職も辞めて一段落ついたころに入会した。今後は市内の小中学生に核兵器の悲惨さを伝えたいと、営業職の経験を活かして各校に呼び掛ける。「被爆体験を語れる人がどんどん減ってしまうのは仕方ないこと。でも、悲惨さを若い人に残し伝えることが大事」
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