太平洋戦争末期に連光寺から出征しフィリピンのルソン島で戦死した田中文雄さん(当時32歳)の出征旗が今年5月、アメリカから長男の政幸さん(77歳)のもとに返還された。政幸さんは6月29日に多摩市役所を訪れ、阿部裕行多摩市長に報告した。政幸さんは「長い間でしたがよく戻ってきてくれた」と声をつまらせた。
1923年1月に連光寺で生まれた田中さん。農家だったが33年に現役兵として入隊し、1年半後に満期を迎え退役。太平洋戦争が始まり、戦局が悪化してきた44年1月に臨時招集を受けた。福岡の門司港から出港し、同年7月に南方軍総司令部に。10月に開拓勤務第20中隊小川隊に編入し、同年7月29日に激戦地の一つだったルソン島のカバヤンで戦死した。
今回、返還された出征旗は、田中さんが臨時召集された際に多摩村(当時)の人たちから贈られたもの。縦74cm、横103cmの日章旗には「祈武運長久 田中文雄君」と書かれ、地元の53人の名前が寄せられている。その中には代筆されたであろう生まれたばかりの政幸さんの名前もある。
この出征旗は、42年2月から45年11月までニューギニアとルソン島に従軍していた元米軍兵が取得したとされ、その遺族が荷物を整理していたところ発見。同国で戦没者の遺留品の返還活動を行っている非営利団体、日本遺族会を通じて、今年4月に政幸さんに連絡があり、田中さんのものであることを確認。受領を希望した結果、5月8日に手元に届いた。開封し手に取った際に政幸さんは「ボロボロの状態だと思っていたが、思ったほど傷んでいなくて良かった。私が生きている間に戻ってきてくれて良かった」と万感の思いだったという。翌日には、旗を持って墓参りに訪れ「長い間でしたがよく戻ってきてくれました」と墓前に伝えた。
市が展示を検討
田中さんが出征した時、政幸さんはまだ生まれたばかりで父親の記憶はないが「信頼の厚い人だった」と聞かされてきた。戦死後、遺骨や遺品は戻ってきていない。7年前に慰霊のためにルソン島の田中さんが亡くなったであろう場所を訪れた。旗を手にした時に現地の光景を思い出し「あそこでこの旗を持っていたのかと思うと…」と声をつまらせた。
報告に訪れた市役所で政幸さんは「皆さんの活動なくして返還はなかった。関わってくださった方々に感謝したい」と述べ、続けて「戦後長い間が経ち、戦争の記憶を忘れがち。この旗が戦争の悲惨さを忘れないことにつながれば」と話し、今後の市の展示等に協力していく意向を示す。
阿部市長は「今回の旗の返還の話を子どもたちにも話していきたい。戦争の悲惨さ、平和の尊さ、故郷への思いをしっかりと次の世代に伝えていきたい」と話し、多摩市の平和展や市役所等での展示を検討していくという。
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