大和小学校南分教場の記念碑建立を進める 小澤 義行さん 大和南在住 77歳
負けっぱなしで終わらない
○…「記念碑建立は歴代の卒業生たちの念願」と目を細める。大和小学校南分教育場は、昭和初年に誕生し、時代ともに南大和国民学校、大和町立南大和小学校と名前を変えて市南部の教育の中心となってきた学校。昭和31年、32年の相次ぐ火災により焼失し、跡地は『やまと公園』に姿を変えた。自身は南大和国民学校の第1期生。昨年、久しぶりの同窓会でかつての友と会い、刻まれたシワに改めて過ぎた年月を実感した。「元気に動けるのはあとわずか、やるなら今しかない」と立ち上がった。
○…大和で80年続く和菓子屋「増田屋」の二代目として生まれる。「小柄でガリ勉。ガキ大将のいじめの的だった」と小学校時代を振り返る。ただ、「負けっぱなしは性に合わない」と、勉強だけはがんばった。試験ができず居残るいじめっ子を尻目に、満点で教室を出るのが密かな意趣返し。言いたい事をがまんしなかったせいか、逆に友情は深まり、気付けば一番の仲間になっていたという。
○…18歳で家業の和菓子の道へ。「大和の名前を全国に」が意欲の元。旬を切り取る斬新なアイデアは業界でも一目置かれる存在。桜の名所をイメージした「やまとさくら街道」をはじめ、手焼き煎餅として全国に知られる市内の雷神堂とコラボした「やまとっ子」など、神奈川を代表する銘菓を自作。もちろん、今も現役。3代目と共に新商品開発に没頭する日々を送る。
○…8月の風物詩である大和駅前での「ふるさとやまと夏まつり」を企画してきたひとり。5年前に補助金0円で始まったまつりは、初年度は赤字。続けられないと思った矢先に、「来年はいつですか?」と問い合わせの嵐。「やめるに、やめられなくなった」と苦笑する。たどり着いた答えは、自治会長総出で阿波おどりで焼きそばを売り、それを活動資金にする”自立した”新しいまつりの形。「若い人も帰ってきたくなる街づくり。それが恩返し」と微笑んだ。
|
|
<PR>
|
|
|
|
|
|
|
<PR>