花のお寺 常泉寺 連載 【185】 徒然想 花守 青陰 文雄 著
今月は、「雲は嶺頭に在って閑不徹(かんふてつ)、水はかん下を流れて太忙生(たいぼうせい)」です。
出典は、江戸時代、白隠慧鶴(はくいんえかく)撰、『槐安国語(かいあんこくご)』です。意は、白雲は山の頂にかかって閑かに浮かんでいる。谷間には清流が忙わしく流れるということです。
自然はそのままにひとつの真実を見せているのだが、人間は残念ながらその自然の姿、実在をしっかり見る力がないので、いつも遠い所に真実を求めようと、もがき苦しんでいるのです。 真実の姿はあなたの眼の前にはっきりと露わに見えているではないか、と老師は私たちに真実のそのままの所在を指し示しています。
この文言では、雲と水、嶺頭とかん下、閑不徹と太忙生という対立が対立のままに一つの景色や場面を実在の動きとして美しく詠われています。
上にある白雲と下に流れる清流とは別々でありながらここではお互いに助け合って風景を創り出しています。雲はどこまでも静かに行き、水は忙(せ)わしく流れるのです。
私たちの生活もこのように静と動、動と静の区別が明確に分かれ、しかもそれぞれがお互いに補い合うことにより全体の調和が保たれてこそ真実の生活となります。
静かなばかりでも、忙しいばかりでもない調和のとれた生活をしなければならない、と老師は私たちに諭しているのです。
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