大和市身体障害者福祉協会の会長として、障害者の生活向上と会員相互の親睦に取り組む 内藤 則義さん 草柳在住 73歳
障害者の声を届ける
○…体に障害のある人などで組織される大和市身体障害者福祉協会。障害者の生活向上や自立、会員同士の親睦を深めるべく、会長の重責を担う。他の障害者団体などと共に市へ要望書を提出して障害者の声を行政に届けるほか、会で県のリフト付きバスを借り、日帰り旅行などにも出かける。「例えば車いすの方が自分で旅行するのは、かなりハードルが高い。その人が『行けてよかった』と嬉しそうに話されるときが、一番の喜びでやりがいですね」と、満面の笑みで話す。
○…自身も左手指欠損の障害者。1歳の時、名古屋大空襲で左手の骨まで燃えてしまった。安全保障法が注目される中「自分としては、戦争はしてほしくないと思っています」と、まっすぐな眼差しで語る。会への加入は26年前。その後、副会長となり18年前、前会長の急死を受け、推されて会長に。市との折衝や会合は平日が多く、「当時は会社員だったから、有休を取ったりして何とかやりくりしてました」と苦笑い。会員も高齢化が進み、現在はピーク時の3分の2である約210人。「障害者の声を行政に反映してもらうためにも、会員増強は課題」。会のPRなどにも力を注ぐ。
○…名古屋出身。戦後すぐで養護学校も少なく、自身は高校まで普通学校に通学。高校では軟式テニス部で汗を流した。滋賀大学を卒業後、船や船員の用具などを販売する神戸の会社に就職。総務や経理を担当していたが、本社移転に伴って横浜へ。結婚を機に大和に居を構え、40年が過ぎた。
○…現在は、妻とふたり暮らし。一人娘は北海道の福祉系大学に進み、現地で福祉施設に就職した後、結婚。3人の孫に恵まれ、年に3、4回行き来する。孫の話をするときは、表情もデレデレに。定年退職後に再開したテニスで、週3回体を動かすほか、卓球にも挑戦。「ほぼ毎日運動しているよ」と笑う。座右の銘「一心不乱」の姿勢で、会の運営に取り組んでいく。
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