新しく大和商工会議所の会頭に就任した 河西 正彦さん つきみ野在住 77歳
令和の商工業の羅針盤
○…2期6年の副会頭職を経て、新会頭に推挙された。「商工業の環境が大きく変化する時代、将来の方向性を示唆できるよう話題や理論を示していく」と商工会議所の使命を語る。「自分も『ものづくり』だけをやってきた人間で世間を知らなかった。商工会議所の講習会や講演会に出席し、参考にした」と自身の経験からその存在意義の高さに自信を持つ。
○…東京都世田谷の生まれ。「駆けっこと勉強は負けたことがなかった」少年時代。しかし家計を助けるため、中学を出て働くつもりでいた。「高校位は出ておけ」と叔父の支援で進学。手に職をつけるため工業高校へ進み、海老名の金属冶金(金属の粉末を成型する)の会社へ就職。ここで運命の出会いが待っていた。九州帝大出の工場長に見込まれ、大学の通信課程で金属冶金を学ぶ。さらに会社を離れ、科学技術庁(当時)の研究生に、加えて当時開講したばかりの東海大第2工学部(夜間)に通った。工場長はその後独立。自身もその工場長が出資する会社へ。すぐに社長となり、現在の会社への流れにつながった。
○…2度のオイルショックにプラザ合意。追い打ちをかけたバブル崩壊で、ビクター、NEC、日産自動車、車体工業など大企業が撤退、中小企業は窮地に追い込まれた。ピンチはチャンス。技術に裏付けられた製品に特化し、乗り切った。「正しいかどうかは判らなかった」と当時の決断を正直に吐露した。
○…健康維持のため散歩が日課。日中は車での移動が主だが、時には中央林間の駅から自宅まで30分かけて歩いて帰ることも。ロータリークラブの散歩会にも所属。来月には弘法山への登山も控えている。サツキの盆栽や庭木いじりがリラックスの素。
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