令和元年度の神奈川県体育功労者賞を受賞した 三ツ木 眞知子さん つきみ野在住 73歳
東洋の魔女に憧れて
○…「えー。何それ?って感じだった」。自らの受賞にあっけらかんと笑う。市バレーボール協会や県のママさんバレーボール連盟の要職を歴任、現在は顧問を務める。「文句を言いながらでも協力してくれたからやってこられた。皆さんのおかげね」と周囲への感謝が口をついた。
○…伊豆・下田の生まれ。4人きょうだいの紅一点。遊びに行くのはいつも兄たちと一緒。「女の子の遊びはあまりしなかったな」。運動神経が良く、足が速かった。「運動会が楽しかった。ノートや鉛筆など賞品もらえたりして」と当時を思い出し楽し気に笑う。中学に入って陸上競技を続けたが、長身を見込まれ、2年生の時にバレーボール部の助っ人を頼まれた。「あそこで誘われなければバレーはしてなかったかなぁ」
○…結婚後、しばらく横浜で暮らした後、大和へ。PTAのバレーボールが盛んな大和で初めて「ママさんバレー」に触れた。子どもの卒業後にママさんバレーチームを創設。全国大会出場の経験も持つ。以来35年間、各年代ごとの部で選手としてコートに立ち続け、昨秋には70歳以上の「なでしこの部」に加盟。新年度からの大会参加を目指し、仲間と月に1度の練習を続けている。「皆、あちこち身体が痛いのに、練習休まないの。若い頃は体調悪くても、バレーをすれば治った。今はなお悪くなるのにね」とこの日一番の笑顔を浮かべた。
○…前回の東京五輪は高校3年生で、伊豆を走った聖火ランナーの伴走者の一人として走った。金メダルを獲った「東洋の魔女」の選手たちが五輪後、全国を指導に回る姿にも憧れた。今回の五輪は「雰囲気を味わいたいと思って、チケット応募したけれど、外れちゃった」そうだ。
|
|
<PR>
|
|
|
|
|
|
|
<PR>