2020年の東京五輪を盛り上げようと7月16日に開催された「ヤマトワールドスポーツフェスタ」。炬火リレーで日の丸の付いたタンクトップを身にまとい颯爽と走った益田斉さん=写真=は、御年86歳。世代別に争うマスターズ陸上に出場し、国内外の大会で100個以上の金メダルを獲得、今なお現役で走り続ける文字通り「鉄人」だ。
大学までは運動経験0
1932(昭和7)年、満州で生まれた益田さんは、小さい頃から足が速く、運動会の徒競走ではいつも1位、リレーのメンバーにも選ばれる韋駄天だった。しかし中学に入学する頃には戦況が悪化、運動らしい運動はできず、防空壕掘りや軍事教練に明け暮れたという。
大連日僑学校へ進学。当然部活など無く、仲間同士が集まって運動する程度だった。卒業後、西安の大学に在学中、幅跳びが上手い、と模範演技をさせられたことがあったという。日本への引き上げは、途中中断になる不運もあり、日本に戻ってきたのは、終戦から9年も経った年の事だった。
40歳で大会初出場
帰国後、入りなおした大学の体力測定で「100mを13秒台で走ったのは益田が初めてだぞ」といわれた。それでも「同年代と走ると少し速い」位にしか考えていなかったという。
転機は40歳の時。結婚を機に、大和に移り住んだ益田さんが、回覧板で見つけた「市民総合体育大会」開催のお知らせ。「軽く町内運動会のつもり」で長ズボン・運動靴で参加すると、周りは皆、真剣。結果は予選落ちの大惨敗。「スターティングブロックなんか使ったことなかったからね」(益田さん)。しかしこの結果が闘志に火を着けた。
4年目にはスパイクを履いて100mで見事優勝。勝つ喜びを知り、今度は「病み付きになった」。50歳の時には5歳刻みでクラス分けし、年代別の優勝者を決める「マスターズ」に入会。以来、100mと走幅跳の2種目で国内外の大会に出場し続けている。”世代トップ”を何度もマークし、リレーではアジア記録、日本記録も樹立した。80歳の時には、走幅跳で22年間破られていなかった県記録を更新する大ジャンプを披露している。
走れる間は走りたい
8年前に、胃の半分を切除する大手術を経験。体重が10kg減った。「身体が軽くなってアキレス腱痛が無くなった」とあっけらかんとしたもの。しかしこの時ばかりは結果が付いてこなかった。体調管理は「料理好きの妻がバランスなど気を付けてくれている」と感謝の言葉を口にした。
「できれば毎日したい」というトレーニングは、体調と相談しながら。それでも最低週3日は行う。上草柳の自宅から自転車でスポーツセンターまで出かける。「それだけでもいい練習」になるそうだ。孫が大野原小学校に通い始めたのをきっかけに、登校時間の交通安全の旗振りを買って出た。以来、13年間毎日休まず続けている。こちらも8時前に家を出て、坂を自転車で駆け上がる。「車に抜かれると悔しくてね」と、どこまでも負けず嫌いだ。
明日18日(土)には、大和スポーツセンターで神奈川マスターズが開かれる。年々記録が落ちてきている走幅跳。「せめて3mは超えたい」と意気込む。9月以降は東京選手権、全日本マスターズ(鳥取)、国際ゴールドマスターズ(奈良)と連戦が控える。今年は”猛暑”も強敵だ。
80歳の時、80〜84歳が入るM80クラスで、1年間だけ走幅跳で世界ランキングが1位になった。「走れる間は走りたい」という今の夢は世界記録。「一つくらい持っていたいね」と闘志を燃やす。明日、スポーツセンターでその瞬間が見られるかもしれない。
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