国分寺台地域の「困り事」に尽力する 山本 幸也さん 国分寺台在住 70歳
何事も一途な想いで貫く
○…43年前に国分寺台に移り住んだ。仕事尽くしの日々を終え、65歳から地域活動へ積極的に取り組み始めると、高齢化が加速するこの地域の中には助けを呼ぶ「困り事」が山積していることに気付き、その声に対して今も誠実に耳を傾けている。道路補修から空き家・空き地問題など、市役所へ提案に行ったり自身で解決させたりと、困っている人の声を拾い上げ、それに向かって日々、体を動かす。「他人への愛行をなす。これが私の使命かな」とニッコリと微笑む。
○…福岡県生まれで九州男児の父の血を受け継ぎ、正義感に溢れている。大手出版社の就職試験では面接官に対し「もっと、ふんどしを締めてかからなければ会社は潰れてしまう」と強く主張。面接官らは開いた口が塞がらなかったが、その話を耳にした上司らが目をつけ無事入社した。与えられた仕事を実直にこなしているうちに、その実力は一歩一歩着実に認められ、会社経営を任せられる存在になり、66歳で仕事生活にピリオドを打った。
○…バブル時代を経験した忙しい生活を支えたのは愛する妻。「うちの家内は」と話し出す顔は、満面の笑みを浮かべ会話は絶え間ない。出会いは高校生のときでお互いが就職後、「落ち着いたら結婚をしよう」と考えていたところ「男が『やるぞ』と決めたなら今すぐしろ」と父の主導により、その言葉の1週間後には式を挙げた。「もちろん友達に電報を打つ暇もなく、来られる人だけの結婚式になりましたよ」
○…苦楽を共にした妻は4年前に他界。小学校の教諭だった妻は地域の福祉関係にも従事し貢献してきた。「もうすぐ命日を迎えますが、家内は本当に素晴らしい人だった」と椅子に深く腰掛け少し目を潤ませた。『1日を精一杯生きる』を信条に、出来る限りのことに身を粉に働く理由は「家内に頼りっぱなしだったから、動けるうちは頑張りたい」と熱意に燃える。
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