海老名・座間・綾瀬版
公開:2015年5月15日
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天正18年(1590年)、豊臣秀吉が小田原城を攻略し、徳川家康が関東一円を治めていたころ、家康の老臣であった高木主水助清秀(たかぎもんどのすけきよひで)が5000石を賜り、中新田に居をかまえていました。 家康は鷹狩を好み、中原(平塚)での鷹狩の帰りに、老臣清秀の住居に寄って、時服や雁等を下賜(かし)した、と伝えられています。
二代の正次は元和9年(1623年)に河内、河南の領主となって赴任して行きましたが、中新田の内田、遠藤、盛屋、杉本、鈴木、小川の6氏がこの地にとどまり、近くの稲荷の森に刀を納めて土着し、農業に転じたということです。
その後を残すため、子孫の人達が1966年に建てたのが「六刀碑」です。
なお、正次は中新田の諏訪神社を建てました。
参考資料/海老名文化財散策「自然と歴史のさんぽみち」、海老名市史等
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