大相撲の第43代式守伊之助さん(本名・森田善光さん・61歳)のために、地元・綾瀬市の有志が長さ5・5メートルの「応援のぼり」を作った。昨年12月に襲名したことを受け、応援のために制作した。五月場所で入り口付近に掲げられ、九月場所でも掲げる構想だ。
行司の格付は8つに分かれており、最高位の立行司に木村庄之助、次いで式守伊之助の2人がいる。のぼりは綾瀬市まちづくり研究会(川崎好和会長)を事務局とした市民有志が作成。綾瀬市の鳥、カワセミの色でデザインした。同会によると神奈川県出身の立行司は初で、6月13日には海老名市内で昇格祝賀会も開催、橘川佳彦市長は「綾北中の大先輩で誇りに思う、子どもたちに伝えたい」と語り、式守さんは「修行は終わらない。さらなる精進を約束する」と誓った。
横浜市鶴見区に生まれ、その後綾瀬市に転居。綾北小学校と綾北中学校で学び、「ドロケー」や野球に駆け回った。相撲に親しむようになったのは曽祖父とテレビ中継を見るようになってから。多くの力士の中でも二子岳が見せた「内無双」が忘れられない。当時は動画判定がなく、画面に見入るうちに勝ち負けを裁く行司に憧れるようになった。
高校をやめ入門
もともと漫画家になる夢もあったが、中学3年の頃に「行司になる」と決意。親の勧めで大和高校へ進学したが、数カ月後には「どうしたら入門できるのか」と相撲協会に電話していた。高校を中退して入門後は力士たちと寝食を共にし、番付を書く「相撲字」を新聞紙で繰り返し練習した。「礼儀作法を教わった後は、土俵に上がってひたすら経験を積み、勘を養う。力士たちの動きの特徴などを覚えました」。1979年、16歳の時に木村春男として初土俵を踏んだ。序ノ口の行司は裸足で「今のように暖房もなく、土俵は冷たかった」という記憶がある。2006年に幕内格となり、15年には上から二番目の三役格に昇格。立行司昇格後の初場所では、千秋楽で豊昇龍が優勝した巴戦を裁いた。
やりたいことやってほしい
本紙の取材に対し「立行司になっても、やるべきことは変わらない。横綱の先導など名誉なことはあるけれど、自然に、普通に終わるのが一番。行司が目立つ必要はない」。普段からウオーキングを日課とし、好き嫌いなく食べる。行司を選んだ10代を振り返りつつ、地元の子どもたちにメッセージを寄せた。「やりたいことは何でもやってほしい。ダメかもしれない、けどやってみる。経験が一番です」
![]() 藤沢で2月に開かれた襲名披露宴では県章入りの衣裳を着用した
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