市内の芹沢地区でおよそ400年続けられているとされる「どんどん焼き」が今月16日に行われ、約300人が詰めかけた。昨年まで会場にしていた広場が9月に閉鎖されたことで、一時は開催が危ぶまれたが、地域住民が市に掛け合って代替場所となる広場を確保。「伝統の火を絶やしたくない」とあきらめなかった姿勢が実を結んだ。
どんど焼きや左義長とも呼ばれるこの火祭りは、毎年1月中旬に市内各所で行われている。正月飾りや団子を焼き、1年間の無病息災や五穀豊穣を祈る。
主催者の芹沢連合自治会の飯島博幸会長(65)によると、芹沢のどんどん焼きは、地区内の道祖神を奉る催し。この道祖神は戦国時代末期、甲斐から移り住んだ武田氏の人々が建てたとされるもので、祭りも建立後間もなく始まったという。
「昔は今と違って、死と隣り合わせの生活だったと思う。それだけに、無病息災や五穀豊穣を願う想いも強かったのでは」と飯島会長。伝統行事は住民によって次世代に継承され続け、第二次世界大戦中も途絶えることは無かったという。
存続へ、市に要望
開催場所は、戦後の都市化に伴って、道祖神近くの道路、一般宅の庭など変更を余儀なくされてきた。昨年まで会場だった「芹沢多目的広場」は、市と土地所有者の貸借契約が終了して閉鎖。この広場は夏祭りなども行われ、地域拠点とも呼べる場所だった。それだけに住民のショックも大きかったが、有志らが代替場所を要望した結果、近くに「子供広場」が開設される運びとなった。どんどん焼きも子供広場と、隣接する山王神社の敷地を使い、開催できることになった。
主催者「ホッとした」
16日は好天にも恵まれ、親子連れなどが来場。木の端に吊り下げた団子を焼きながら、新しい1年の幸せを祈った。また、玄関先に飾ることで魔除けになるという、焼けた竹が来場者に配られた。
毎年訪れているという夫婦は、「これまでの会場が無くなったと聞いて心配していました。存続に尽力した方々に感謝したい。これからもぜひ続けてもらえれば」と話していた。飯島会長は「どんどん焼きは、私たちの誇り。地域の皆様のご理解のおかげで無事に開催でき、今はただホッとしています」と安堵した表情を浮かべていた。
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