厚木青年会議所50周年 若きちから団結
設立メンバーのひとりである。「私にとってはJCとは、血となり肉になった充実した時期でした」と話す。生粋の厚木っ子。大学卒業後、日本石油に入社。(株)高橋石油の2代目として地元に根差すと決心したころに、厚木JC立ち上げの話が持ち上がった。日夜、先輩や仲間たちと街づくりについて語り明かした。全員が我が街づくりに真剣そのものだった。「(JCは)社会のクッション的な存在として中庸をいく団体」と私見を述べる。
理事長時代はオイルショックの直後。経済界低迷の中、会員の減少にも悩んだ時期。メンバーは一様に自分たちの会社の足元を固めようと(倒産しないようにと)必死だった。経営者としての自覚を持つための例会を充実させ、デール・カーネギーについても深く学んだ。あつぎ鮎まつりへの参加を決めたのもこの年。日米チャリティーダンスパーティーや市民教育討論会の開催など新たな試みに挑戦。「厚木JC」の土台を築いた。
40歳でJCを卒業した直後は高校時代の恩師でもあり、厚木さつきライオンズクラブの初代会長を務めた足立原市長(当時)のもと、初代幹事としてクラブの設立にも尽力した。その後、54歳の時に市議会議員初当選。ふるさと厚木のまちづくりに奔走した。精力的な活動の根幹は「JCで培ったもの」ときっぱり。「JC時代の仲間は一生の友だちだよ」。信条は「不易流行」。
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