不眠不休の救援活動 市消防本部が救助隊を派遣
「東日本大震災」が起きた3月11日、伊勢原市消防本部(佐々木正行消防長)は救急部隊と後方支援部隊を各1隊、計5人を仙台市に派遣した。任務を終え14日に伊勢原へ戻ってきた後方支援部隊の山口剛さん(51歳)と嶋田勉さん(47歳)に現地の様子などを聞いた。
震災発生から約3時間後の午後5時45分、同本部は県知事の要請により緊急消防援助隊を出動。県内の各消防本部にも同様の要請があり54隊・215人が川崎市消防局・犬蔵出張所に集まった。
この日、山口さんは地震発生後の市内を巡回して火災注意などを呼びかける広報活動を実施。嶋田さんも巡回パトロールなどに追われていた。しかし2人は出動命令に従い家族と連絡を取る間もなく出発。16時間かけ宮城県仙台市の泉消防署に到着したのは翌12日、午後7時半のことだった。
同本部の救急部隊が到着後最初に出動したのは、8時58分。そこから翌13日の午前2時半までに計15件の救急出動があった。
一方、後方支援部隊の山口さん、嶋田さんは到着と同時にガソリンの確保や情報収集などの任務にあたった。11日の朝から現地到着まで一睡もしなかったという2人。「体力的な厳しさもあったが、地元の人たちが(神奈川と書いてある制服を見て)声かけをしてくれた。頑張らねばと励みになった」と嶋田さんは言う。
津波の恐怖
第1陣の救援活動最終日となった14日、2人は市内臨海部で人命検索にあたり、津波の被害に遭った地域を巡回し逃げ遅れた人などを探してまわった。
壊滅的な状況に嶋田さんは「同じ地震でも津波が来るか来ないかでここまで違うのか」と目を疑ったという。山口さんは「担当した地区で犠牲者は確認されなかったが、他地区はあったと聞いた」と話し、厳しい現実に言葉を詰まらせる。
第2次派遣隊と任務を交代したのは午後11時。4日間、ほとんど不眠不休で任務を遂行した。「もう少し現地で救援活動をしたかった。今後も要請があれば被災地に行く」と2人は口をそろえる。市消防本部では17日までに援助隊を3回派遣。その後も状況に応じて対応するという。
市内でも余震が続くなか、山口さんは「買占めなどはせずとにかく冷静に行動を」と呼びかけ、嶋田さんは「今一度、広域避難場所の確認や家族で万が一の時の集合場所を決めておくことも大切」と話した。
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