太平洋戦争の終戦から今年で70年を迎える日本。安全保障の転換期に「戦争は絶対だめ」と訴える人が伊勢原市内にいる。神風特別攻撃隊の元隊員、前場博さん(89歳/伊勢原在住)だ。
秦野町に生まれた前場さんは真珠湾攻撃の1カ月前、16歳で立川の少年飛行兵学校に入校した。戦時下であったためカリキュラムは半年に短縮。駆け足で戦陣訓をたたき込まれた。
戦闘機の操縦や機上無線を学んだ前場さんは1944年、上等兵に階級を上げ、朝鮮半島の元山航空隊に配属。「97軍偵」と呼ばれる偵察機で中国やマレー半島に飛び、敵情把握と自軍の展開状況を司令部に知らせる任務に就いた。
45年6月、19歳の前場さんは特攻隊に志願。「そうせざるを得ない空気だった」と振り返る。その後、前場さんらは台北山奥の飛行場に移動し、その時を待った。 ある日、上官が志願兵を横一列に並べ、「長男は一歩前へ出よ」と言った。五男の前場さんを含めた数人だけがその場に残され、「出撃のため(鹿児島県の)知覧へ行け」と命令が下った。
前場さんの出撃予定は終戦3日後の8月18日だったという。「攻撃目標が定まれば出撃だった。毎日毎日、仲間が散っていくなか、降伏とともに生き延びた。友のかたき討ちができず申し訳ないという思いだった」
終戦後、22歳で結婚した前場さんは、ほどなく伊勢原へ移り住んだ。2004年には夫婦で知覧特攻平和会館を訪問。館内に掲示された戦没者の一覧に何人もの戦友を見つけた。
「私の命もぼちぼち。最後まで日本の平和を願います。それが私にできること」
家族にも戦争体験を語ってこなかった前場さんは、涙ながらに語った。
伊勢原版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
愛甲石田駅近く家族葬専用式場「ゆかりえ」家族葬から樹木葬。友引の日に無料相談会を開催しています。 |
愛甲石田駅近く家族葬専用式場「ゆかりえ」家族葬から樹木葬。友引の日に無料相談会を開催しています。 |
<PR>