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東京五輪ソフトボール 青春を重ね開催待つ 厚木市在住の飯島さん

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掲載号:2021年4月30日号

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日本で初の日米ソフトボール大会の記念写真(飯島さん提供)
日本で初の日米ソフトボール大会の記念写真(飯島さん提供)

 今年東京オリンピック・パラリンピックで3大会ぶりに実施されるソフトボール競技。日本が優勝も狙える種目だけに注目を集めるが、厚木市温水在住の飯島(旧姓北村)喜久代さん(83)は、自身の青春時代に想いを馳せ開催を楽しみにしている。

 飯島さんは、1937(昭和12)年、東京都文京区本郷に生まれ、小学校2年生の時に親の故郷の厚木市林に疎開。すぐに駅の近くの旧厚木町(現泉町)に移り住み、厚木小から厚木中に進んだ。そこで人生を変えた人物に出会う。伊勢原市在住で厚木中で教師を務め、後年神奈川県ソフトボール協会の理事長などを歴任し、数年前に他界した竹内吉治さんだ。

 中学生当時、野球人気が高く女子の間でもソフトボール熱が勃発。飯島さんらも早速ソフトボール部を立ち上げた。その時野球部の顧問をしていたのが竹内さんだった。「竹内先生が確か巨人軍の研修生だった経験があるって聞いて、私たちの指導もしてほしいと、強引に引っ張ってきちゃったの。おてんば娘の集まりだったから」と笑う。その後、指導のおかげでめきめきと上達していく。「先生も男子の野球部よりも私たちの方がどんどんうまくなっていくから、だんだんソフトボール部の方を付きっきりで指導してくれるようになってね。本当にたくさん教わった。おかげでさらにソフトボールが楽しくなった」と目を細める。

 中学卒業後は部員ほぼ全員が厚木東高校に進学。同校は県大会優勝を果たすなど瞬く間に強豪校になった。さらに同校は成績が認められ神奈川県代表として国体にも出場。飯島さんは、エースでキャプテンを務め、開会式では選手宣誓も行った。そして卒業後は実業団の東京・高島屋に所属。主にピッチャーとして活躍した。飯島さんによると、1960年に日本で初めて開かれた日米対抗のソフトボール大会(神宮外苑球場・当時)で日本チーム・東京選抜の一員として出場。「最初はとにかく女性も背が高いことにびっくり。パワーもすごかった。相手にならなかった」と残念そう。35歳まで現役生活を送り、その後マネージャーに転身。子どもを授かったのを機にソフトボールからは退いた。現役時代は国体に4回出場。米国との対戦は一度きりだったという。

竹内先生と出会えてよかった

 ソフトボールに捧げた青春を振り返り、「高校時代はソフトボールを優先して修学旅行に行けなかったり、苦しいこともたくさんあったけど、仲間に恵まれて本当にいいチームで楽しかった。嫌なことはひとつもなかった。何人かは今でも交流が続いている」と笑顔。「いろいろな経験をさせてもらって、それもこれもみんな竹内先生に出会えたおかげだと思っています。ソフトボールを辞めてからもかわいがってくれました。本当に感謝しています」と話す。

 最後に東京五輪について、「やっぱり注目しているし、できれば応援に行きたい」と話した。

飯島喜久代さん
飯島喜久代さん

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