被災地の公務員に転身 元綾瀬市職員 菊地 隆さん
これまで培った公務員としての経験や知識を被災地のために――。元綾瀬市職員の菊地隆さん(59歳)は今春、東日本大震災で被災した宮城県東松島市の職員に転職した。
被災地では震災復興に関する事業や担当が必要とされ、他市の公務員にもおおむね要領がわかる業務には菊地さんのような経験者が重宝するという。綾瀬市役所職員歴は35年。4月からは同市の生涯学習課文化財班の主任を務める。文化財の分野は初めてだが、基本的な部分で要領はつかめている。街中を駆け回り、電話応対では聞きなれない東北の方言に少々苦戦し、帰宅後には東松島の名所や史跡などについての本を読みながら、「毎日がすごく充実している」と菊地さんは話す。
”被災者のためにできることを―”
きっかけは2012年10月。ボランティアに行こうと開いた同市のホームページにあった職員募集の文字が目に留まった。被災地の人達のためにできることがある――。瞬間的に応募を決めた。
新潟中越沖地震のとき初めて災害ボランティアを経験した。作業の後、両手いっぱいのお土産を渡され「助けに行ったはずが、心温められて帰ってきた」。その経験もあり、東日本大震災発生後はすぐに車を走らせた。11年7月には職員仲間と同市を訪れガレキ撤去などのボランティアを行い、その後市社会福祉協議会のボランティアバスなどにも参加。被災地の人たち事を想い続けていた。
長年暮らしてきた綾瀬市内の自宅に家族を残し、現在は集合仮設住宅で1人暮らし。今回の転職は「落ちたら格好悪いから」と、受験中は誰にも打ち明けなかったが、自宅に届く「東松島市」からの郵便物にそっと家族も理解を示した。「定年まであと1年、めいっぱいやりたかった。理解してくれて感謝もしている」。津波の爪痕が残る街並みや、まだ山積みのガレキを見ながらつぶやいた。
綾瀬市制が始まって間もない頃、市職員になった。05年に矢本市と鳴瀬市が合併して誕生した東松島市が「当時の綾瀬に重なる」という。綾瀬でも発揮していた企画・発想力や、リーダーシップを、新天地でも存分に発揮してほしい。