第二次世界大戦中、現在の神奈川県内陸工業団地付近にあった「旧相模陸軍飛行場(通称・中津飛行場)」。この飛行場関連施設の戦争遺跡3カ所に、愛川町教育委員会が10月から案内板を設置した。
1998年度から1999年度に愛川町近代遺跡・資料調査会が実施した近代遺産の調査において、町内では通信室、正門門柱、通用門門柱、格納庫基礎、排水路橋、弾薬庫の6カ所の飛行場関係の「戦争遺跡」が確認されている。
今回案内板が設置されたのは、所有者の了解が得られた中津地区の「正門門柱」「格納庫基礎」「排水路橋」の3カ所。正門門柱と格納庫基礎は私有地に残され、排水路橋は町所有で現在も使用されている。
各案内文は、町文化財保護委員の意見を踏まえ町教育委員会が作成。具体的な構造や往時の利用方法などを解説している。当時の遺跡全体の形状が判然としない格納庫基礎については、過去の写真も使用した。
町では、これらの遺跡と案内文を町ホームページ等に掲載するなど、現在に伝わる戦争の記憶として活用していくほか、町郷土資料館で隔年開催されている戦争展でも紹介するという。
時代とともに姿を変えて
1940年から本格的に建設が開始され、翌年には熊谷陸軍飛行学校相模分教場が開校。飛行場としての機能が始まる。
当初は練習機による操縦者養成が行われていたが、戦況が悪化すると飛行学校は閉鎖され戦闘機操縦者の訓練基地となった。終戦直前には同飛行場から特攻機が出撃したこともあった。
最終的な相模陸軍飛行場の敷地は220haに及び、終戦後は農地として開墾されるが、高度経済成長期の1961年から工業団地計画がはじまり、現在では130社を超える工場が操業している。
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