観音崎公園再生計画づくり
観音崎公園の「再生計画づくり」が地域住民や県横須賀土木事務所、公園指定管理者らで進められる中、同公園内の自然だけでなく歴史的建造物にスポットを当てた活用も検討されている。その第一弾として今月12日、明治20年代のものと見られる「三軒家砲台弾薬庫」の一部が約35年ぶりに公開され、その見学会に参加した市民や郷土史研究会のメンバーら約30人は、興味津々に当時の時代背景に思いをはせていた。
歴史遺産 活用しない手はない
「三軒家砲台の弾薬庫は、レンガ積みもきれいに残っています。これを上手く活用していければ-」。
この日の見学会に招かれた郷土史家の山本詔一氏はこう話した。明治29年竣工の同砲台は計6門。現在の横須賀美術館から程近い場所に砲座の姿を残している。弾薬庫はその下に眠っていた。
今年度から始まった観音崎公園再生計画づくりの中でも、歴史遺産に焦点を当てたこの日の見学会。現地調査をしながら、活用方法について皆で意見を出し合うという内容だ。参加者はまず、公園化時に閉鎖され、今回約35年ぶりに入口の扉が開けられたレンガ造りの同砲台弾薬庫3ヵ所を見て回った。
最初に見学した弾薬庫は幅が約6メートル、奥行きが8メートルほどの広さだった。各自ヘルメットをかぶり、懐中電灯で中を照らしながら、熱心に見入っていた。内部の壁と天井には、伝声管の跡と思われる直径15センチ程の穴があり、別の弾薬庫の奥では、コンクリートで通路を完全にふさいだ跡も見られた。他にも、枯葉と土砂に埋もれ、中に入れない場所も確認した。
その後一行は、北門第一砲台跡を巡り、観音崎青少年の村を訪れた。県青少年課は、同青少年の村を3月末で閉鎖することを決めているが、参加者からは「ここの弾薬庫跡は保存状態も良い。歴史的な建物として残していきたい」といった声があがった。
現地調査後の意見交換会では、「弾薬庫も開放するだけではなく、中を明るくし、資料を展示しては」「砲台跡は視界の悪いところがあるが、それでは役割が分からない」「戦争ばかりでは暗いイメージがするので、現代との対比ができれば」といった様々な意見があった。同公園の再生に向けた整備は来年度、三軒家園地周辺から順次始まる方向で進められており、今後より具体化していきそうだ。
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