浦賀中サッカー部 南三陸を訪れ交流 顧問の母校へ募金も
市立浦賀中学校の2・3年生のサッカー部員35人が、今月19日から22日まで、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町を訪れ、現地のサッカー部員と交 流した。同校教諭で顧問の熊谷健太郎さん(32)が南三陸町の出身であることがきっかけで実現。今回の”遠征”を通じて部員たちに、サッカーをできる環境 があることに感謝する気持ちが芽生えた。
高校卒業まで南三陸町に住んでいた熊谷さん。津波によって実家は破壊され、いとこや知人を亡くした。両親は今も仮設住宅で暮らしている。心の中を整理するには時間を必要とし、去年は授業でも、こうした体験をなかなか生徒に語ることができなかったという。
震災から1年数ヵ月が経過した今年度はじめ、「自分に何かできないだろうか」と大場智和校長に相談。大場校長は、被災地を訪れることで人々に元気になってもらい、生徒にとっても「生きた教育」になると考えた。震災から時間が経ち、現地での安全が確保できることも大きかった。
学校は7月にサッカー部の保護者会を開き、理解を求めた。貸切りのバス代や宿泊費などの必要経費は1人あたり2万5千円で、保護者が負担。PTAからも支援があった。一方、サッカー部員は出発前の8月中旬、市内3ヵ所の駅頭で募金活動を実施。被災地の中学生に届けることなどを伝え、3日間で55万6844円が集まった。
野球場でサッカー
部員らは19日の夜にバスで出発。避難場所にもなっている総合スポーツ施設「平成の森」(同町歌津)に到着した。グラウンドには仮設住宅が建てられているため、野球場でサッカーの練習をする環境だった。21日には熊谷さんの母校をはじめ現地の部員とミニゲームなどで交流。募金は、目録として3校に手渡した。
同町の先生から、被災地の生徒は津波でシューズやウェアが流されたことを聞いた部員たち。キャプテンの増島大貴さん(2年)は「道具が少ない中で一生懸命頑張っているサッカー仲間がいることを知り、自分たちも頑張らなければならないと感じました」と話す。
最終日、日程が終わるのを「待っていたかのように」(熊谷さん)、被災して入院していた熊谷さんの祖母が亡くなったという知らせが入った。遠征を終え「自分の経験を教師という立場で伝えることが使命だと感じます。一生懸命生きろと伝えていきたい」と語ってくれた。
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