明治から大正にかけて首都防備を目的に建造された東京湾要塞の「第二海堡」にスポットを当てた講演会が先ごろ、横須賀集客促進実行委員会の主催で開かれた。誕生の生い立ち、建設技術、地盤工学、観光資源のテーマで専門家がそれぞれの立場で解説。関心を寄せる市民約200人が熱心に聞き入った。今月24日(金)には、民間事業者のトライアングルが上陸を伴うクルーズツアーをトライアルで実施する。
郷土史家の山本詔一氏=左下写真=は、江戸時代に東京湾に姿を現す異国船を追い払う目的で大筒を備えた「台場」が築かれ、これの発展形態が「砲台」となった、と解説。西洋式の築城技術が導入され、探照灯や弾薬庫、兵員宿舎が備えられた要塞が東京湾に完成していった経緯を述べた。第二海堡もそのひとつで「技術の発展過程や歴史的背景をつなげて見ることで楽しさが広がる」とまとめた。
明治22年に建造された第二海堡に関する記録が一切残されていないとしたのが国土交通省の野口考俊氏。漂砂の測定や砲台を設置する技術、目的や役割に応じて強度を変えている護岸の石積みなどは現在にも通用するとした。
土木遺構として、地盤工学の見地から説明したのは、防衛大学校教授の正垣孝晴氏。明治初頭の建設物として、どのくらい強度があるのか。第一と第三の研究を参考に、図面を用いながら解説した。当時のドックや軍事施設では、安山岩を含んだ真鶴半島の新小松石を使用。第二も同様の材質だと思われるという。「関東大震災時、それぞれの海堡での官舎の報告も残っている。これらの被害状況やデータの積算で、石材劣化などのメカニズム、将来的な保存に活かしたい」と話した。
最後に、第二海堡や歴史遺産の活用を、地域振興という視点で述べたのはJTB総合研究所の山下真輝氏。歴史的な背景や技術を伝えることはもちろんだが「一般の人に広げることに商機を見出す」ことをポイントとした。例えば、海上で豪華客船とLNGタンカーが交差する姿は迫力があり横須賀でしか見ることができない。目の前で起こるものを案内し、歴史的な背景も伝える案内ガイドの役割も重要。「ライブ感がツアーの醍醐味になるはず」と話し、この観光コンテンツを点で終わらせずに、つなげることが大切と期待を述べた。
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