旧横須賀軍港の衛兵詰所で市民文化遺産、日本遺産の構成文化財に指定されている「逸見波止場衛門」。市の解説文などでは「明治末から大正初期に建設」と表記されているが、市内の郷土史研究家が今月3日の講演で当時の資料や使われているタイルの年代から、「昭和初期に手掛けられたもの」と推測する新たな説を発表した。
日本遺産「明治末期―」と登録
「逸見波止場衛門」の建設時期について検証したのは、「横須賀の文化遺産を考える会」代表の長浜つぐお氏。今月3日に行われた市自然・人文博物館主催の講演会「第4回横須賀の歴史最前線」で発表された。
まず、長浜さんが指摘したのは、日本遺産登録(2016年)の際に記された「明治末から大正初期に建設された」という解説文。それ以前の市の説明では「(この時期と)推定される」となっていた。他には「大正14年」と表記されているものもあり、衛門に関する市の複数の記述に相違があることに疑問を抱いた。
これに加えて、外壁の下部に貼られているタイルにも注目。引っかいたような傷が特徴の「スクラッチ・タイル(すだれ煉瓦)」と言われるもので、国内では大正後期から昭和初期に製作が始まった。「この製法は明治期にはなく、帝国ホテル(大正後期)や神奈川県庁(昭和3年)、三崎の臨海実験所(昭和11年頃)などで採用されたもの。ここから推測すると、明治末期から大正というのは誤りではないか」と分析した。
震災後の復興事業か
さらに、改めてその成り立ちについて海図や防衛研究所にある海軍省の資料を辿った。この一帯は関東大震災の被害が大きく、大規模な復興工事の予算が計上されており、そのなかで、昭和3(1928)年に当時の海軍大臣から「番兵塔」新築の許可を示す訓令もあったという。「昭和5年の絵葉書には現在の姿が描かれている。工事資料などを総合すると、昭和4年度の予算で作ったと推測できるのでは」と長浜さん。「歴史の事実は検証で変わっていくもの。機会があれば正してほしい」と話している。
これに対して、日本遺産の登録などを担当している市教育委員会生涯学習課は、「資料を調べたうえで、(表記の)見直しもあるかと思う」と答えている。また、衛門をモチーフにした市のキャラクター「逸見エモン」は明治末期の生まれ―という設定になっていることから、担当者は「年代の修正については市の動きに応じていきたい」と話した。
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