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横須賀版 公開:2019年7月5日 エリアトップへ

あの頃、僕らは球児だった。 「周囲の人に恵まれた」 内藤雄太さん (横浜商工/現・横浜創学館高卒 35歳)

スポーツ

公開:2019年7月5日

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現在は玩具メーカーに勤務。おもちゃのバットに持ち替えて日々奮闘
現在は玩具メーカーに勤務。おもちゃのバットに持ち替えて日々奮闘

  小学1年からソフトボールを始めて、中学では軟式野球のクラブチーム「横須賀スターズ」に所属していました。その頃は全然活躍できていなくて。3年の新チームになってようやくスタメンに。ある時、台湾で行われた親善試合で、なぜか3番に抜擢されたんです。その時から面白いように打てるようになりました。当時、チームのバッテリーにはいくつも強豪校のスカウトが来ていて。その時、自分がその投手からいい当たりを打っていたところを見た横浜商工(現創学館)の森田監督に声を掛けてもらいました。

 高校時代は、練習がきつかったという思い出が大きいです。鉄アレイを持って走ったり、1日1000回素振りしたり。当時はまだ学校に野球部専用のグラウンドがなかったので、練習は横須賀スタジアムや能見台のグラウンドまで、学校から走って移動していたのも良く覚えています。2学年上の元日本ハムファイターズの石井裕也さんをはじめ先輩方にかわいがってもらったおかげで、きつい中でも楽しくやっていました。部活は、放課後の練習に加え7時30分から朝練もありました。自宅が長坂にあったので、6時ごろの電車に乗るために野比駅まで毎朝、親が車で送ってくれていました。今、2人子どもを持つ親として改めて、当時とはまた違う、感謝と尊敬の気持ちが芽生えています。高校野球を通じて、技術はもちろん、目を見てあいさつする、感謝を忘れないなど、人として当たり前の礼儀についても自然と身についていました。

 2013年にプロを引退後、スポーツ用品店に就職。そこで、現在勤めている玩具メーカー・カシマヤ製作所の社長に出会い、その縁で16年に入社し営業を担当しています。玩具だけでなく、打撃用手袋を主軸とする「フランクリン」というアメリカのメーカーやマルッチというバットメーカーの日本総代理店にもなっていて、選手と同じ目線で話ができることは強みであり、やりがいにもつながっています。

 これまでを振り返ると、両親・家族、監督コーチ、先輩、社長――関わってくれた人に恵まれすぎていた人生でした。また、高校時代のキツい練習を乗り越えられた、というのはこの先もずっと自分の自信になると思います。何より、野球をやっていたことが、今の仕事の武器になっています。

打順は3番を任されていた
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