谷戸の階段を１００段近く、なだらかな上り坂を歩いて約10分。息を切らすことなくたどり着いたのは、数十年の付き合いのある患者さんの自宅だ。薄いブルーの白衣に身を包み、手には往診バッグ。歯科医師の佐久間博一さん（76）が訪問歯科を始めたのは、30年近く前。市の歯科医師会では障害者歯科にも長く携わり、４月には春の叙勲で保健衛生功労の旭日双光章を受けた。
谷戸への往診”現役”
汐入駅近くにある医院は築70年超。父は代用教員を務めながら夜間に歯科を学び、地域医療に力を尽くしてきた。今回の叙勲で自宅には父と自分、２つの同じ褒章が並んだ。気付けば、同じ道を歩んでいた。
父と同様に、市の歯科医師会会長や県歯科医師会の委員など要職を歴任。今、父が診療を辞めた年齢をちょうど超えたところ。「役職の在籍年数など、自分の中では”数字”での競い合いも目標のようなものだったかな」と目を細める。大きな背中は「超える」ものではなく、地域で診療を続ける支え。自分を導き、奮い立たせてくれるものでもあった。
治療待つ人に寄り添う
幼い頃は待合室が遊び場。自宅の勉強部屋の隣で、歯科医師会の会合が行われていたこともあった。「歯科医になれとは言われなかったが、小学生くらいから、この分野に進むのかな、と思うようになっていた」。大学と大学院では入れ歯について専攻し、卒業後は父の診療を手伝いながら、総合商社の産業医として勤務したのち、地元での診療に軸足を移した。
歯科医師会での訪問歯科の取り組みは、30数年前の「寝たきり老人歯科医療事業」が始まり。担当委員長となってこれを推進し、ノウハウを構築してきた。当初は15kg近くある入れ歯の技工エンジンをカメラ用の大きなジェラルミンケースに収めて往診に出向くなど、試行錯誤を重ねた。高齢者に多い入れ歯の相談や調整は、自分の専門分野。「痛みを取って気持ちよく食べられる。高齢者にとって、歯の健康はとても大事。患者さんのほっとする姿は嬉しいもの」。その想いは、今も変わらない。
汐入地区は土地柄、谷戸も多く、４件ある往診先もほとんどが数十段の階段や坂のある高台。それぞれ月１〜２回の訪問を続けている。診察は入れ歯の調整や口腔内の確認など10分程度。「山の上まで来てもらえて助かる」との声が励みだ。そのためには、往診を続ける体力も不可欠。「普段の生活から身体を動かすよう気を付けている。あとは、妻の薄めの味付けの食事も健康維持につながっているかな」。薬剤師として勤務する妻の姿も、同じ医療従事者として「現役」への意欲を高めてくれている。
「継続」が張り合い
現在も市の歯科医師会では顧問、県組織では常務幹事を務めているが、日々の診察や往診に限らず、「続ける」ことも、人生の張り合い。30代半ばで入会した地元の奉仕団体（横須賀ロータリークラブ）では、週１回の例会をほとんど休んだことがなく、「自分で記録を更新しているところ」と微笑む。１０５歳まで現役医師として精力的に活動していた日野原重明さんに倣って、朝食には、ひとさじのオリーブオイル。そんな日課も、健康を下支えしている。
自家用車のナンバーは「８０２０」。80歳まで20本の自分の歯を維持しようというスローガンだ。「そんなことしているの、私くらいかな」とにっこり。歯科医になって約50年。「待っていてくれる患者さんがいるから、元気でいなくては」。地域医療を担う責務を滲ませた。
丁寧な診察で「安心」を届けている
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