都内強豪高の一角を担う日本大学第一高校で、3年連続夏の甲子園大会に出場した。1年生からレギュラーを獲得。大柄な体格と力強いスイングを買われ、都の予選大会では4番を任された。
毎日が特訓だった。部長は海軍出身の元軍人。規律を重んじ、身体に覚えさせる猛練習を美徳とする前時代的な指導で、「どれだけバットを振ったか」が問われる日々。従う以外の選択肢はなく、試練を耐え抜いた先に夢の舞台があると信じて疑わなかった。
憧れの聖地には最短ルートでたどり着いたが、最初の年はほとんど記憶がない。球児たちの熱量とスタンドの大声援に気圧され、すっかり舞い上がってしまった。「2三振を喫して交代させられたが、夢の中にいるようなぼんやりした感覚しか残っていない」
2年時には1回戦を勝利してグラウンドで校歌を斉唱。その後の人生の糧となる代えがたい経験をすることができた。
目標に向かって「一心不乱」に突き進んだ仲間は財産となった。再会すれば話はいつも同じ。「あの試合でヒットを飛ばした」「あのエラーで負けた」と濃密に過ごした青春時代をいまだに語りあっている。
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卒業後は大学野球で活躍。28歳まで社会人野球でプレーし、勝負の世界に身を置いてきた。そうした場所から長らく離れていたが、61歳の時に社会人時代のチームメートから誘われ、還暦野球の「横須賀シニアクラブ」に参加。先ごろあった東日本古希軟式野球大会では、主砲としてチームの優勝に大きく貢献した。「やるからには勝ちたい」。溌剌(はつらつ)とした笑顔で現役感をにじませる。エンジョイだけでは物足りない。
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