「挙国一致」の体制で遂行された第2次世界大戦。徴兵による戦死や空襲被害など、戦中は多くの市民の命や生活が犠牲となった。しかし、8月15日の玉音放送で全ての苦しみが終わったわけではない。戦争が戦後の街に残した傷跡を資料や証言をもとにひも解く。
米兵用慰安所の設立
敗戦から間もなく政府は進駐軍向けの慰安所を東京・大森に設置。横須賀でも1945年9月、現在の日の出町に「安浦ハウス」と呼ばれる慰安施設が終戦連絡委員会や警察により建てられた。市史では、当時の安浦私娼組合の接客婦170人が派遣されたことが伝えられている。
58年の売春防止法施行で安浦ハウスは閉鎖されたが、一部の従業員は私娼として市街地で営業を続けた。60年代に若松町で暮らした水島聡さん(67)は「どぶ板通り近くにあった同級生の家は2階を『パンパン』と呼ばれる私娼に貸しており、遊びに行くと外貨が床に落ちていた」と回顧。70年代に同町在住だった松永慶子さん(62)も、道行く海軍兵に「ハーイ! セーラー!」と店へ呼び込む女性の姿を目撃しており、閉鎖後も慰安所の名残が街に残っていたことがうかがえる。
街に佇む傷痍軍人
総力戦となった第2次世界大戦は多くの戦傷病者を生んだ。横須賀でも浦賀港が外地からの引揚指定港となり、累計56万人の引揚者が入港。復員兵の中には心身に傷を負った者も多く、日々の生活は苦難を極めた。
「さいか屋(旧大通り館)の前でいつもアコーディオンを演奏する男性がいて、なけなしの小遣いを払ったことがある」と松永さん。戦後復興に沸く中、復員兵の苦しみは続いていた。
歓楽街を女性を連れ闊歩する米兵と生活苦にあえぐ復員兵。戦後の横須賀は戦勝国・敗戦国の極端な構図を映し出していた。
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