第2次世界大戦末期に日本海軍が開発を進めていた特攻機「桜花」やロケット戦闘機「秋水」の製造拠点「海軍航空技術廠」が現在の横須賀市浦郷町一帯にあった。
空技廠は1932年に開設された(当時の名称は海軍航空廠)。優秀な技術者により航空兵器の設計や研究、製造がなされ、周辺の飛行場ではテストフライトが行われていた。
少年が見た軍需工場
1944年、台湾少年工として空技廠に配属された東俊賢(とうしゅんけん)氏(94)は、桜花の試作品製造に溶接工として携わっていた。熾烈な戦況下で日本人の熟練工は次々に召集され人員不足に陥っており、「その分私たちにかかる期待は大きかった」と振り返る。中でも東氏は溶接した部品を極秘の組み立て工場へ運ぶ重要な仕事も担っていたという。
毎晩日付が変わるまで働き、仮眠後に朝7時まで働く。寮に戻り午後になると再び出勤する。そんな生活を送った。「日本が敗けるわけない」-。そんな思いを胸中に秘めながら。
桜花の試作機が完成したころ、視察に数人の特攻隊員が工場に訪れた。当時の東氏くらいの年齢の下士官の姿もあった。海軍式の敬礼を済ませ去り行く姿に「帰ることのない命に涙ぐんだことが今でも強く記憶に残っている」と回顧する。
空技廠は戦後、民間企業に払い下げられた。現在でも当時の姿のままの建物が一部残されている。
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