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三浦版 公開:2012年10月5日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第26回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2012年10月5日

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芝原の里墓内の供養塔
芝原の里墓内の供養塔

 諏訪神社の境内ばかりに目がいってしまいましたが、肝心要の祭神については、後回しになってしまいました。社殿は拝殿・幣殿・本殿の三棟一守の権現造りです。祭られている神様は建御名方命(たけみなかたのみこと)で、相殿として、天照大神、木花咲夜毘売命、金山比古命、大己貴命、日本武尊、安徳天皇の方々です。例祭は7月27日。創立由緒等は明らかではありませんが、昭和10年10月に発行された『三浦郡神社由緒記』によりますと、「伝に上宮田石作薬師堂の裏山の石窟に鎮座しあったのを現地に移したものなりと伝へられてゐる。」とあります。明治6年に村社に列せられています。他に境内社として、大物主命を祭る琴平神社もあります。かつて、道沿いに「駒つなぎのけやき」と称する木があり、里の人が、お伊勢詣りに馬で出発する際、この諏訪神社に参詣して出かけたと言われています。しかし、それも、道路拡幅のため、伐られてしまったそうです。神社に参詣をすませ、道を海へと向かい、5、60メートルのところを右折して、三浦海岸駅の方へ行きましょう。しばらく行きますと、右側に六道地蔵尊や庚申塔が道に並行して見えてきます。海東山三樹院と号す、浄土宗の寺です。十刧寺の子院と言われ、本尊は十一面観音菩薩です。寺の入口に十一基の庚申塔が並んでいます。享保18年(1733)の庚申塔もあります。

 「南下浦村誌」に「境内古井は三浦五井のひとつに数えられ、此地を今井と言ふは、この井の有るに由って起こったもの」とあります。また、「当山由来縁起」に、木曽義仲に従った武将で巴御前の兄にあたる今井四郎兼平が出陣のとき、この地に仮屋を設けた云々のことが書かれているということで、浜田勘太氏は「南下浦の歴史探訪記」の中で、これは諏訪神社との関係によるものと和田義盛の妻になった巴御前の墓と称するものが、佐原にあるとの伝えなどから、今井の地に何らかの関係あるものがあってのことだろうと述べておられます。

 この三樹院は、三浦観音札所の第十番にあたり、次のような御詠歌が奉納額に「けふはゐて あすはいまいの わがいのち 仏はしるしめざめるべきかな 文化二乙丑(きのとうし)年」とあるそうです。文化2年は1805年のことです。

 「三浦古尋録」が書かれたのが文化9年ですから、ほぼ同じ頃のものと言えるでしょう。その中には次のように書かれています。「今井観音。今井八三浦五井ノ一也」とあります。

 なお、三浦の五井とは今井、津久井、大井戸(高円坊)、吉井(浦賀)、長井の5カ所を言うようです。

 寺を出て右へ進み、京急の線路に沿って駅の方向へ進み、芝原公園の少し先、道の左側に小さな「里墓」と思われる墓地があります。入口の近くに、明和3年(1766年)丙戌(ひのえいぬ)の銘があり、阿弥陀三尊を示す梵字の下に「奉納日本回國供養塔」と正面に書かれた石塔があります。昔の村人の優しさが偲ばれます。
 

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