三浦の散歩道 〈第27回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
芝原公園の近くの京急線のガードをくぐり、「島廻り」へ出ます。京急の社宅を右に見て、道を右へ曲がりますと、マンション群に出会います。かつての田畑が時代と共に変化した姿なのでしょう。「上宮田公園を過ぎると、道が交差した処へと出ます。角(かど)に「石作公園」が広々とあり、周囲を道にかこまれています。この辺りが「石作(いしじゃく)」です。道を旭小学校の方へ向かいます。左側に墓地が見えてきます。裏手は丘陵地になっています。その裾に瓦葺(ぶ)きの小さな小屋が建っています。
中をのぞいて見ますと、祭壇が奥にあり、像の高さ十センチ程の仏像が祀られています。観音開きのお厨子の中にあります。左側に二十センチ程で片手を上にあげた像はお釈迦さまの誕生仏でしょうか。ここが『新編相模風土記稿』にみえる「薬師堂 十劫寺持(下略)」なのでしょう。浜田勘太氏著の『南下浦の歴史探訪記』によりますと、この薬師堂の所在地は上宮田字外堀八七七番地で、道路の南側、今、歩いてきた右側が石作で、北側が外堀であるというのです。さらに氏の語るところによれば、薬師堂の裏手の小山に横穴古墳があったと言うのです。
薬師堂の左前方の墓地内に珍しい石仏があります。台座の上に載った手洗い鉢上に観音座像の石仏があるのです。半跏に右肘をつき、掌は右頬にあて、左は膝の上にあり、斜め下向きに水盤を見下ろしているようなお姿に見えるのです。台座の正面や側面に多くの人名が刻まれています。最後に「享保六天 丑十月吉日」とあります。享保六年とは、今から二九一年も昔のことです。これは「水神を祀る水鉢」と言われています。鉢の隣りに、嘉永二年(一八四九)の年号が刻された、願海上人の六字名号塔があります。書物等によれば、浄土教を広めるための修行僧であった上人は、方々に見られる徳本上人と同じように地元で頼まれると「南無阿彌陀仏」と揮毫したということです。
薬師堂の仏さまや水神さまを参拝して、元の道へ戻ります。さきほど通った「石作公園」は以前「石作の池」と呼ばれた堰があったところだと言うことで、かつてはこの辺は豊かな田園であったのでしょう。道を、「三浦海岸ハイツ」の建物群を左に見ながら坂を上がり、下ったところは以前、「京急のグラウンド」と呼ばれたところの裏へ出ます。左折して、広場を右に見ながら「三浦海岸駅」へ向かいます。
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次回は駅の周辺を歩いてみましょう。
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