三浦版 掲載号:2012年11月16日号
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三浦の散歩道 〈第29回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

 「『海防陣屋』を建設する工事中、大きな松の木の根元を掘ったところ、鉄の冑(かぶと)にそのまま頭蓋骨がついて出てきたので、工事関係者が丁寧に供養し、塔を十劫寺の境内に建てた」という話を浜田勘太氏は「南下浦の歴史探訪記」の中で書いておられます。「海防陣屋」は、広さ1万坪弱の所に、長屋や防備に必要な建物など37棟以上もあったということで、その中心辺りに十劫寺の前身である「真城寺」(真誠寺とも)があったのだというのです。筆子が知る限りでは、南下浦市民センターが開設される以前に、南下浦小学校の上宮田分校があって、現在の駐車場辺りが校庭で、子どもたちが元気に飛び回っている姿でした。話によれば、大正の初め頃に庭の周囲に楠が植えられたとのことで、現在、道路に面した側に立派な大木に成長した楠を見ることができます。

 名残り惜しく、センターから三浦海岸駅から少し西側へ回ってみましょう。

 かつて、「青木田」と呼ばれる小字名で、谷戸の奥近くまで田圃が続いていた処でしたが、現在、「星和」住宅街となって、整然とした街並みが見られます。道路上に「ゴミ置場」がなく、住宅と住宅の間に何げなく「ゴミの集積場」が設置されていて、道を歩いても清々しさを感じます。その住宅街を抜けて、左へ道を採ります。さらに進むと急坂になり、上がると「池代」の信号がある山谷ヶ戸の三又路に出ます。その手前の登りにかかる前の道端に石碑が建っています。「光信寺跡」です。『新編相模風土記稿』の上宮田村の項に「池代山〈所在の小名なり〉と号す〈同末〉(註鹿穴山来福寺の末の意)本尊阿弥陀、開山光信〈文永3年8月15日卒す、親鸞(しんらん)の附弟なり〉中興玄海〈天正8年9月18日卒〉古(いにしえ)鎌倉に在(あり)、天正中兵火に罹りし時、玄海此(この)地に移す」とあります。石碑には「記念碑、光信寺跡」とあります。裏面に「『松江山教覚寺縁起』(第十三世釈乗空録)ヲ披(ひら)キテ之(これ)ヲ按ズル二抑々(そもそも)『光信寺跡』ト称スル此ノ地一帯ハ宗祖親鸞聖人ノ直弟カツ当山ノ開基タル光信房ガソノ晩年二及ビ伝法弘動ノ道場トシテ一草庵ヲ建立セシ遺跡ナルコト歴然タリ。(後略)」とあり、縁が深いことを知って「遠忌法要をつつしんで修めることとして、記念碑を建てて末代に伝えたいとして、昭和11年(1936)2月に静岡市の教覚寺の第十九世釈乗心という方が誌しています。

 青木田の谷戸の奥に浄土真宗の道場があったということも驚きます。

 「三浦古尋録」には「池代一向宗光信寺」とのみを記しています。さらに、おもしろいことに、「此池代ヨリ中古(先年とも)文字替リノ銭多ク堀出シタルノヨシ甲ス皆永楽銭也ト云」ともあります。どこから掘り出されたかは不明です。

 記念碑の後ろに墓石がいくつか見られます。碑を右に見てさらに進むと馬小屋があり、左側には牛舎なども見え、さらに坂を上がると右手の開けた所に、梅の樹林があります。春先きが楽しみです。上の県道へ出てみましょう。   つづく
 

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