弥生時代の集落跡を確認 赤坂遺跡、46年ぶりに調査
三浦市教育委員会はこのほど、市内初声町にある国指定史跡赤坂遺跡の調査結果をまとめ、弥生時代中期から後期の竪穴住居の跡が発見されたと発表した。赤坂遺跡は約7万平方メートルの範囲に広がっている三浦半島の拠点ともいえる南関東屈指の大きな集落。弥生時代中期後半から後期に継続して営まれていた数少ない集落とされている。
同遺跡の調査は、これまで国史跡指定地以外で行われてきた。国史跡指定範囲における調査は、昭和41年の立教大学による小規模な調査以降行われていない。今回の調査は46年ぶり。集落遺跡としての実態解明と今後の史跡整備の材料を収集する目的で行われた。
調査期間は昨年の9月25日から10月15日。調査は、約4700平方メートルのうち、環濠(集落の周囲にめぐらされる堀)の存在が想定される100平方メートルに2m×10mのトレンチ(調査溝)を3本設定。「方形周溝墓」の存在が想定される指定地北西部には2m×20mのトレンチを1本設定して行った。
調査の結果、弥生時代中期末から後期初頭の住居跡と弥生時代後期と思われる溝状遺構が発見された。また、弥生時代中期末から後期にかけての4軒の竪穴住居の跡が上下左右に重なり合う状況で見つかり、赤坂遺跡は集落が密集していたことが分かった。
調査の過程で弥生時代中期から後期の土器片も出土、特に弥生時代後期前半の久ヶ原式土器が多く出土した。
市は「今回の調査結果を受け、今後も調査をする必要がある」と継続する意向を示している。
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