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三浦版 公開:2014年3月7日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第58回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2014年3月7日

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前に残雪のある毘沙門堂
前に残雪のある毘沙門堂

 松輪から「江奈湾」を眺めながら西に移動します。湾の奥、葦が茂っている辺りは大潮の干潮時に干潟(ひがた)になるところで、数多くの生物が棲んでいると言われています。その脇を通り、京急バスの「毘沙門天入口」で下車。すぐ近くに、石塔が2基あります。ひとつは「馬頭観世音菩薩」と刻まれたもので、台座の部分が道標になっていて、「右 毘沙門天道、左 満つ巴(まつわ)道」とあります。隣に約1メートル程の石塔で「毘沙聞尊天」と刻され、台座の部分に、「是(これ)よ里(り)二丁(ちょう)」とあります。さらに少し離れて、棒状の標識があり「関東ふれあいの道」、「三浦岩礁のみち白浜毘沙門天へ0・5km」と記されています。

 道標にしたがって、舗装された農道を進んで行きます。両側の畑がやがて切れて、右側のみに畑が見られるのですが、奇妙なことに「空気孔」と思われるポールが12本も並んで立っています。かつて、塵芥処理場であった名残りで、ガスの処理をしているのでしょうか。これは勝手な想像ですが…。やがて、右へ曲がりながら二手に別れる処に案内の標識があり、左への矢印は「江奈湾1・1km」、右への矢印は「白浜毘沙門天へ0・2km」と記しています。右手の坂を下って行きますと、幟(のぼり)の竿を収納する長い庫が左側に見え、やがて「白浜毘沙門天堂」がありました。入口にコンクリート製の門柱があり、奥の1段高くなった処にお堂が見えます。入口に「三浦市」の看板があります。周囲が少し錆びてきています。それには、「三浦七福神」のひとつ『白浜毘沙門天』として、「ここ持陽山慈雲寺の毘沙門堂は、応安元年(1368年)妙謙和尚によって開かれたといわれ、本尊の毘沙門天は、行基の作と伝えられています。この毘沙門天は、海中出現の像といわれ古来から漁業者の信仰が厚く、ことに正月3日の酉(18時)の刻には必ずありがたい示現があると信じられており、近郷近在から多数の参詣、参籠があってあかりの祭典といわれていました。そして、知恵と勇武の守り神としてあがめられています。また特に北方を守る武神とされ、厄除け、恵方(えほう)の神とされ、また仏の道場を守る四天王の一仏、多聞(たもん)天ともいわれています」と書かれています。境内は余り広くなく、「御神灯」や「狛犬」があるところからすると、ここは神社であったのかもしれません。現在は「慈雲寺」が管理しているのでしょうか。

 浜田勘太氏は『南下浦の歴史探訪記』の中で、次のように述べておられます。「白浜神社のことだが、これは毘沙門天のことであろう。話によると神様か仏様かということで何かもめごとがあったと聞いたが、結局は仏様として慈雲寺の管理になったということである。それ以前は神様として扱っていたようだ」とあります。明治の初め、政府は太政官通達で神仏判然の布告をもって、権現とか菩薩とかの仏号に因んだ神号は廃せられたのです。次回、境内の様子を見てみましょう。

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